先日のベルナルド記事に続いて、今回はMAX。中量級であるK-1ミドル級の選手を。
突然の私事ですが、自分の地元は栃木県の宇都宮市です。
僕が格闘技を知ったのは小学生の頃だと、前にお話ししましたが、本格的にハマって好きになったのは中学生からです。
気になる選手や記事が載っている格闘技雑誌も買って読んだり、試合前の特集や今でいう煽りVなどが流れる、深夜にやっていた事前の格闘技番組も毎週ビデオに録画して空いている時に観たり。
高校生になって本格的に空手をはじめますが、それで、地方の町道場の格闘技の現実を知ります。
まず、都心から離れないと、道場がなかなか見つからない。
極真とかメジャーなところ、伝統派空手、あとはボクシングとかであれば、協栄ジムのような有名なジムがあったり、私立の高校であれば部活でもやることはできました。
でも、それ以外のフルコン空手やキックボクシングとなると、道場やジムがなかなか見当たらない。
道場に行っても、ほとんどが幼年部や少年部。そう、小学生や幼稚園生ばかり。
当時高校生だった自分には、同じ世代の友だちがほとんどおらず、道場でも高校生は実質僕ひとりだけでした。
そうでなくても、町道場はそもそもそんなに人が集まらなかったのです。今でもそうだと思いますが。
そして、自分が進学したのは公立の高校、それも大学受験合格至上主義の進学校。
予習・復習は当たり前で、それに加えて宿題や他にも課題があり、毎週のように何かしらの小テスト、さらには予備校主催の全国模試などが数カ月にいっぺんくらいの割合であり、当時の僕にはついていくのに精いっぱいで、格闘技どころか遊ぶヒマもなかなかありませんでした。
そこで、取った手段。
それは、日常生活のすべてを、格闘技の練習や武道の稽古に当てる/活かす、というもの。
ボストンバッグにダンベルや父親の読まなくなった古雑誌などを詰めて重くして、それをかついで自転車をこいで、片道1時間とか2時間かけて道場に通ったり。
落ちてるごみを拾ったり、階段の上り下りすらハイスパートでやったり。
よくある、昭和の古典的な、体育会的な鍛え方。
アレを想像してもらえたらよくわかると思います。笑
今でこそ青春時代の笑い話ですが、当時は本当にそれくらい必死でした。
そうこうしている頃にはじまった、黄金のK-1ミドル級。
K-1 WORLD MAX。
そんなMAXを見ている時に、自分と同じように、北関東と似た、東北の青森出身で、K-1という近代格闘技の舞台において、自分がやっていたような古典的な昭和トレーニングを実践してリングに上がっていた選手。
それが、小比類巻貴之選手でした。
近代格闘技K-1において、当時から絶対的エースでもあった魔裟斗のライバルとしてメディアでも大きく取り上げられてはいたものの、ファイトスタイル的にもなかなか理解や評価のされない、結果もそこまで出せない、微妙な立ち位置の選手でしたが、自分と似たような孤独とシンパシーを感じて、僕の中では魔裟斗よりも入れ込む選手になっていきました。
持ち味でもあった、空手で培ってきたローキックと、ムエタイスタイルを取り入れた影響の見える強烈なヒザ蹴り。
そして、遠目から相手の頭や首筋を狙うハイキック。
魔裟斗やクラウス、ザンビディスやサワー、カラコダといったハードパンチャーやボクサータイプがひしめくK-1MAXにおいて、蹴りを駆使するハードキッカータイプのコヒさんは、キックボクサーらしさが見えてすごく新鮮だったと思います。
そんなコヒさんの、自分の私情からみまくりの個人的なベストバウトを、今日は上げてみたいと思います。
対 須藤元気戦('02 日本代表決定トーナメント準々決勝第1試合)
記念すべきK-1 WORLD MAXの第1試合。
相手は何と、パンクラスや修斗、さらにはコロシアム2000やアブダビコンバットにも参戦し、UFC-J王者という看板を引っ提げてやってきた総合格闘家 須藤元気。
打たれ強さはあっても、せいぜい判定負けくらいだろう、に思っていたのですが、ふたを開けてみれば、これがものすごい名勝負。
マンソン・ギブソンなどを参考にしたという、リング上で相手に対してハスに構え、まるで小ばかにしたようにくるくる回るトリッキーな戦法。
コヒさんの蹴りに合わせてバックハンドブローを放ち、なんとダウンも先取。
試合がエキサイトしたのか、2ラウンドにはK-1では反則の飛びつき三角締めも繰り出してしまいましたが、ここからがコヒさんの真骨頂。
ローキックで確実にダメージを与え続け、3ラウンドにKO勝ち。
思わぬ伏兵によもやの苦戦を強いられましたが、K-1中量級のオープニングを飾るにふさわしい、ハードな試合でした。
ちなみにこの試合、当時のプロレス雑誌 紙のプロレスにも年間ベストバウトでベスト4に入っていました。
プロレス以外、それも中量級の試合が評価されるって、これはすごいことではありませんか?
対 大野崇戦('02 日本代表決定トーナメント準決勝第1試合)
須藤元気戦ですでに肩と鼻骨を負傷していたコヒさん。
準決勝の相手は、正道会館でともに練習をしていたこともある大野崇選手。
準々決勝の新田明臣戦を左ハイキックの一撃KOで上がってきた大野選手。
パンチが見えていないコヒさんに対し、パンチを打って、離れて、というアウトボクシングをするつもりだったそうです。
作戦が当たり、大野選手のパンチでダメージを受けていくコヒさん。
しかし、サウスポー構えの大野選手に対し、ひたすら右のローキックを右足の内またに叩き込んでいきます。
それが奏功したのか、ヒザががくがくになり、崩れてしまう大野選手。
ダウンじゃないとアピールしていましたが、おそらく、『ヒザが抜けてしまった』状態だったのだろうと思います。
このダウンが響き、試合はコヒさんの判定勝ち。
シンプルな内容でしたが、自分的にはすごく勉強になると同時に、いろんな思いに駆られる試合でした。
対 武田幸三戦('04 日本代表決定トーナメント準決勝第1試合)
この前年にムエタイラジャダムナンスタジアム認定ウェルター級元王者として、魔裟斗への新たな対抗馬としてK-1に参戦してきた超合筋武田幸三。
サンドバッグが血染めでヘコむほどの殺傷力を誇るローキックと、相手へのカウンターとして放つ超合筋パンチ。
自分と武器もパーソナリティもかぶる、新鋭の選手相手に、コヒさんはまたもや苦戦を強いられます。
2ラウンドに入っても、展開は1ラウンドと変わらず、『もう武田の勝ちになるかな』。
そう思っていた矢先。
武田のワンツーをバックステップでかわしてからの、右の飛びヒザ蹴り一閃。
仰向けに倒れた武田選手。そのままKO勝ち。
会場の雰囲気が、一瞬シーンと静まり返ったのを今でも覚えています。
対 アルバート・クラウス戦('04 世界王者対抗戦)
'02に記念すべき初代世界王者となり、'03、'04も魔裟斗に阻まれたとはいえ、準優勝、ベスト4に入るなど、MAXでも強豪として名をはせていたクラウス。
このクラウスに対し、『やったことないからやってみたい』とさりげないラブコールを出していたコヒさん。
自分としても、当時のMAXで好きだった選手2人なので、この段階で実現したことは嬉しかったです。
武田戦、そしてこの年の世界トーナメントでも持ち味として生きていたヒザ蹴りが、この試合でも生かされます。
左の上段ヒザ蹴りからの、離れ際から遠目で放った右の飛びヒザ蹴りがクラウスのあごから顔に命中。
そのまま倒れてしまうクラウス。
その後も得意のパンチを当てようと、距離を詰めますが、コヒさんのローキックと組みひざ蹴りの前になかなかペースをつかめません。
さらにはコヒさんの左ジャブを被弾し、鼻からも出血。
試合はそのままダウンを奪ったコヒさんの判定勝ち。
思いのほかめまぐるしい展開というのはあまりありませんでしたが、当時好きだった2代選手の初激突、というのが自分としてはすごくうれしかったです。
対 魔裟斗戦('06 世界トーナメント 準々決勝第1試合)
ついに実現した、MAXの2大看板ライバル対決。
ただ、当時の勢い、安定感、そしてMAXそのものへのハマり具合では、明らかに魔裟斗の方が優位に立っていたことは事実。
かたや、当時のコヒさんは復調してきたとはいえ、まだまだ魔裟斗と肩を並べるほどではなくなっていたことも事実。
このタイミングでのマッチメイクは、ハッキリ言ってコヒさんに対してアンフェアだと思いました。
それでも、決まってしまったものは仕方がない。
得意の右のローキックとヒザ蹴り、ブアカーオが魔裟斗に対して有効に使っていた左右の前蹴りを駆使し、パンチも積極的に自分から出して前に出たコヒさん。
しかし、左ボディや左フックを駆使し、ローキックも有効に使うなど、K-1での戦い方・勝ち方にハマっていた魔裟斗は、はるかにずっと上手でした。
MAXでずっとトップを張ってきたという自負と経験値の豊富さからか、ついに3ラウンドには狙い澄ましたストレート気味の左フックがコヒさんに直撃。そのままダウン。
結局、そのダウンが響いて判定負け。
でも、試合後の2人は、とてもすがすがしい感じの笑顔でした。
これでライバルストーリーが終わった、なんていう人もいましたが、自分には、この2人の対戦は、いわゆるMAXの名勝負数え歌みたいになってほしかったというのが本音でした。
上記が、僕が思う小比類巻貴之ベストバウト。
魔裟斗戦の後の、次の2007年以降はK-1やFEG自体が少し微妙な流れになってきたこともあってか、コヒさん自身もなかなか結果内容ともにパッとしないものが多く、ハッキリ言ってベストバウトらしい試合はあまりなかった、と言わざるを得ません。
佐藤嘉洋選手との日本人エース決定戦、サワー、ブアカーオ、そして魔裟斗へのリベンジ。
山本KID徳郁などのHERO'Sなどの総合の選手との試合。
見てみたい試合、再戦すれば、やりようによっては勝てたであろう試合も、いくつかあったと思います。
体格面、ファイトスタイル、あとはビジョンやパーソナリティの部分でも、もう少し改善できるところがあったんじゃないかなと思えるところはありましたが、それでも、合間に見える人間臭さがコヒさんの魅力だったと思います。
今ではジムの経営者として、そしてまた指導者としても活躍しているコヒさん。
実直な人間性は、同じ青森出身のパンクラス創設者であるプロレスラー 船木誠勝選手ともリンクして、自分の中ではやはり今でも特別な人の一人です。