久々の投稿。なので、格闘技の話を。

 

 

2月14日。世間はバレンタインデーでしたね。

 

 

子どもの頃NHKの某・子ども向け料理番組で、聖バレンタインという人が、とある迫害を受けた人々をかばって処刑され、それをたたえた日、だと聞いたおぼえがあったけど日本では実際は日本のお菓子メーカーが自社や業界の販促のためにしかけたもの、だったようです。

 

 

この日、自分にとってはまた忘れられない日のひとつです。

 

Mr.K-1、不屈の鉄人アンディ・フグ。

それと肩を並べる、K-1四天王のひとりにして、当時の歴代K-1WGPチャンピオンらと拳をまじえ、そのいずれからもパンチでダウンを取ったことがある、南アフリカの豪腕。

そう、マイク・ベルナルドの命日なんです。

 

 

ベルナルドの存在は、僕がK-1を初めて知った小学生の頃から知っていました。

 

まん丸、つるつるのスキンヘッド、丸くて太い腕、どっしりした身体。

 

いわゆる格闘家らしい?身体をした人、というのが最初の印象。

 

 

でも、ピーター・アーツやアンディ・フグを何度も返り討ちにしたり、他にも歴代の人気選手、トップファイターを、そのパンチのラッシュでことごとくマットに沈めてきた、その戦いぶりから、僕の中では『マイク・ベルナルド=K-1においての悪役』のイメージが強かったのです。

PRIDEで、ヴァンダレイ・シウバ選手が桜庭和志選手に何度も勝っていた時と同じような感じ。

 

 

だから、フグやアーツがリベンジした時は、悔しさよりも嬉しさの方が大きかったというのが事実。

 

 

そんなベルナルドに対してのイメージが変わっていったのは、2000年。

ジェロム・レ・バンナやミルコ・クロコップ、シリル・アビディといった、新しい世代の選手たちが台頭してきはじめた、この頃。

K-1WGPシリーズと銘打ち、世界予選トーナメントを開催し、マーク・ハントやアレクセイ・イグナショフ、ユルゲン・クルトなどといった当時の未知の強豪たちが頭角をあらわしはじめた頃。

 

先述した、K-1ファイター アンディ・フグが亡くなり、10月の福岡大会に出場予定だったアンディの枠が空いてしまったこと。

代役としてサム・グレコなどの名前が上がる中、最終的に決まったのがマイク・ベルナルド。

 

 

K-1を離れ、マイナー団体であるWBFのボクシングの世界チャンピオンでもあり、ひたすらボクシングに専念していたベルナルドは、世界タイトルマッチもわざわざキャンセルしてK-1に戻ってくれました。

 

 

自分にとってヒーロー的存在だったアンディ・フグに代わる存在として、そこにベルナルドが入ってきてくれたのです。

 

 

電撃的、そして感動的復帰を果たし、福岡大会のトーナメントも運もあって優勝したベルナルド。

 

その次の年には、一発目のワンマッチの大会で当時一番勢いのあったジェロム・レ・バンナとメインで対戦し、ラウンド終了のゴングの後とはいえパンチでダウンを取った局面を作るなど、またK-1で話題性のある選手のひとりとして台頭してきました。

 

 

しかし、現実はそう甘くはなく、次に出場した世界最終予選トーナメントもケガで辞退、敗者復活大会でも思わぬ伏兵に足元をすくわれ、さらには、総合格闘技PRIDEやアントニオ猪木らの率いるプロレスの選手たちとの団体の対抗戦ともいえる試合でも精彩を欠き、だんだんと落ち目の選手になっていってしまいました。

 

 

そんな中、プロデューサーが石井館長から谷川貞治に代わり、あたらしい運営会社のFEGの指揮のもと、様変わりしたK-1において、古傷となってしまった首のけがやダメージと上手く付き合いながらリハビリや練習を続け、復帰する予定だったようですが、結局けがの状態が思わしくなく、復帰を待たずして引退。

 

 

その後は母国南アフリカで大学に通って心理学を学んだり、オードリーの春日も出た2009年のK-1トライアウトの際には、日本にやってきてチーム・ベルナルドの監督として、のちに晩年のK-1で活躍する京太郎を指導したりしていました。

 

 

そんな中、突然のニュース。

 

 

元K-1選手マイク・ベルナルド死去。

 

 

この一報を知ったのは、僕が東京に2度目の上京を果たしたころのこと。

住み込みで働いていて、深夜から朝にかけてのいわば夜勤帯の仕事をしていた時、ふと時間を確認しようと見た、自分のガラケーのWeb配信ニュースでした。

 

 

ビックリして、信じられなくて、その後も仕事をしながら心ここにあらずというか、胸や頭のどこかしらがよどんでいるような、そんな感覚に襲われたのを覚えています。

 

 

当時の週刊誌のゴシップみたいな記事では、神がどうのとか聖書がどうのとかそんな話ばかりしていたと他の選手たちが言っていた、うつ病にかかり、その鎮痛剤を飲みすぎて自殺したのだ、などと言われていたようです。

ですが、僕にはいずれの話も、ベルナルドが自分から自殺しようと思っての行動だとは、信じられないというよりは明確な結論が出ていないように思えて、納得ができませんでした。

 

 

確かに首のけがやダメージが深刻で、横になって寝返りを打つだけでも激痛が走るくらいだったようで、もちろん薬も飲んでいたと思いますが、それが理由で自殺をしたとは思えません。

 

 

かつての歴代K-1ファイターがあこがれたアクション映画スター ブルース・リーは、自身の表現者としての限界と、そのストレスから睡眠剤や、いまでいう抗うつ剤などをよく飲んでいて、知り合いの俳優からもらった薬を飲んで横になった瞬間、帰らぬ人となった、と言われているそうです。

 

 

首のケガやダメージ、現役を引退した自身のセカンドキャリアを危惧してストレスとなり、うつ病にもなり、その治療のための薬を、思わず過剰に飲みすぎてしまったために亡くなった、というのであれば、自分としてはしっくりきます。

 

 

年齢、体力、そしてケガ・・・・・・格闘技の選手としては確かに落ち目ではあったと思いますが、自分にとっては、フグに代わるヒーローのひとりであり、何よりも素晴らしい人格の人であった、と今でも思っています。

 

 

K-1世界予選開催地域の中でも、そこまでレベルが高くないといわれていたアフリカ地域。

 

 

でも今では、立ち技や総合格闘技問わず、さまざまなアフリカの国出身の選手が各方面で活躍しています。

 

 

ナイジェリア出身のボビー・オロゴンとかの功績もあると思いますが(笑)、僕は、一番最初のパイオニアは、やはりマイク・ベルナルドであると思っています。

 

 

そのパイオニアとして、今も元気でいてほしかった、それが率直な思いです。

 

 

南アフリカの豪腕、ゴールドラッシュさん。

あなたの信じるイエス・キリストや、あなたと同じ命日のバレンタイン(ウァレンティヌス)がいるところから、今のK-1、格闘技は、どんなふうに見えますか?

 

 

THIS IS MIKE BERNARDO