枯れた花は


咲いた証拠


そんな事をふと思いました。


皆様お疲れ様です。


今日もふとした事を記します。


良ければどうぞ。


諸行無常


最近私はこの言葉を何故か


重きに置いてます。


花が枯れるように


人が老いるように


同じ1秒など存在しない


全ての生命がずっと同じではない


その数多ある時の中で


誰かの心を癒し


誰かの心に静かさを与え


誰かの心を無にする


自然。


咲こうが 枯れようが


季節を教えてくれて


時に温もりをくれる


昨今


人の心は


そんな物を求めている気がする


しかし


心に置く前に


写真や感情を解き放つ余りで


感謝が置いてきぼりになっている気がする。


だがそれは


「私は大丈夫」と発信しているようにも思えて


この景色を皆んなにも共有したいと


そんな風にも思える。


心がその状態に戻れるストック。


それも良い。


ふと思う。


私は何のために働いているのか。


生きているのか。


鳥が羽ばたいて


草木が戯れ


虫たちが受粉をして


植物を育ててくれる。


名もなき歯車


私もそれで良いと思う。


私もそれに成ろうと思う。


優しさや思いやりとは別次元の


密かに作る当たり前の時の粒


自信や儚さも


名もなき歯車のように


長文失礼致しました。