小樽「レトロ建築めぐり」も、いよいよ大詰め、運河の登場です。

通常、運河は陸地を掘って作りますが、ここ小樽の運河は逆で、人工的な埋め立てによって艀が作られています。運河が緩やかにカーブを描いているのもそのためです。

 

昭和の中期、埋め立てを主張する自民党と、存続を望むリベラル派の大論争の末、半分が埋め立てられ、半分が存続となりました。その後、観光の目玉として活用され、人気を博すようになり、今では40分の観光クルーズも出帆、大変、賑わっています。

 

旧・北海製罐倉庫

北海製罐は1921年小樽で創業、現在は丸の内の本社を置く、食品や飲料用の缶やペットボトルの製造を行う会社です。この小樽工場は、大正10年頃~ 昭和10(1935)年に建築された工場(写真・下)、倉庫、事務所などが集まった複合施設。

 

 

見事な曲面を描く、現存最古の第2倉庫や、大きな4階建ての無機質な第3倉庫(写真・下)は運河の写真で最も登場する建物のひとつ。その異様な風体から「仮面ライダー」のショッカー基地として利用された経験もある、小樽運河の名物です。   

 

 

旧通信電設浜ビル

築は昭和8(1933)年、鉄筋コンクリート造りの4階建て。左右対称なビルで、現在は中華料理店「好(HAO)」が入居しています。玄関は花崗岩、アーチ形の縦長な窓枠、出入口の欄間には幾何学模様、玄関の両脇に立つ半円の柱には外灯が組み込まれているなど趣向を凝らした作りになっています。

  

 

荒田商会

昭和10(1935)年、木造2階建てで、荒田商会の本店事務所でした。2017年9月に似鳥美術館のひとつとして再利用され、創建当時の姿をとどめる、内壁の漆喰、照明器具、窓枠なども見ることが出来ます。

 

 

北海道雑穀

明治42年以前、木骨・石造りの2階建て家屋。この建物は、木枠の支柱に、外壁は軟石積み、瓦葺きの切妻屋根、開口部には鉄扉が嵌め込まれています。また、正面両脇、小屋根付きの袖壁は防火対策と思われます。

2階には竿縁天井や床の間があり、和室の面影も備える一方、彫刻模様付きのカーテンボックスや上げ下げ窓もあり、和洋折衷の意匠になっています。

 

旧日本郵船 小樽支店

運河公園の前に聳え立つ、小樽のレトロ建築の最高峰。約5,000件、文化庁が認定している重要要文化財(建築物)のひとつで、明治37年の着工、同39年10月に落成した近世ヨーロッパ復興様式の石造2階建ての建築物です。

 

左右対称のファサード、北面に貴賓用の横玄関を配し、背面両翼に張り出すコの字型になっています。外壁は分厚い小樽天狗山産の軟石、その他には登別産中硬石、玄関は大理石敷き、木彫の大階段、豪奢な貴賓室、内装には米国製のスチールシャッター、暖房は地下のボイラー室による蒸気暖房、窓はすべて二重ガラスも備えています。

 

入場料300円(大人料金)で内部の鑑賞も出来ます。2階の貴賓室は完全復元されていて、寄木造りの床、空色漆喰の天井、シャンデリアに豪華な金唐革紙の壁など鮮やかな空間です。大きな会議室は約198平方メートル、床を覆う大絨鍛、大テーブル、優雅な椅子、モダンな明治の文化を偲ばせています。

 

 

旧日本郵船 小樽支店 残荷倉庫 

明治39(1906)年石造1階建て、日本郵船(株)小樽支店と共に、この残荷倉庫にも建設されました。工部大学校第一期卒業の佐立七次郎の設計による、一連の建築として貴重なものです。、寄棟屋根の、外側の4方向に向けて、2段階の勾配をもたせるマンサード式の屋根で、天井高を大きくとれ、屋根裏部屋など収納に適している。

 


さて、小樽の歴史的建造物群を数多く眺めて参りましたが、今回はここまで。次回は、小樽のグルメ散歩に出かけたいと思います。 Don't go away and keep in touch!

小樽のレトロ建築めぐり Part 6 は小樽の町の最大の特色と云っても過言ではない、倉庫にフォーカスして、レトロ建築を探訪します。

 

澁澤倉庫

明治28(1895)年、木骨石造1階建ての、典型的な小樽の倉庫の造りです。小樽は急速に発展したため、木で枠を組み、石を嵌めるという造りが多くみられるます。

右側・前方の角屋が明治28年に竣工、その後、左側、最後に母屋が建てられ、三角の形をしたユニークな形状になっています。

 

   

 

大家倉庫 

木骨の石造り一階で、写真右奥の母屋は、建屋の上に小塔を重ねてのせた腰屋根式という形になっています。外壁には札幌の軟石が使われ、小塔の妻壁には やましち (やましち)の刻印があります。石川県出身の海産商大家七平による建築で、その雄大さ、ユニークな外観は運河地区の石造倉庫を代表するもので、かつては「おもちゃ博物館」として利用されていました。

 

小樽倉庫

明治23(1890)年〜27(1894)年にわたり、幾つもの建造物が連なる形で作られた、倉庫兼事務所で、母屋は現在「運河プラザ」として使われています。木骨石造り1階建ての倉庫と、木骨にレンガ積みの2階建ての事務所という構造になっています。この辺りの湾岸(色内町)は埋め立てによって作られた地区で、この倉庫は、埋め立て直後に建てられた最古参のひとつです。中庭を囲むように倉庫が並び、寄棟の瓦屋根の両端には鯱(しゃちほこ)が屹立し、栄華を偲ばせています。

 

 

 

運河プラザの内部から造りを見ると(写真・左下)、木骨、石造りの構造がよく判ります。

内部(写真・右下)は休憩所になっていて、積丹などの周辺の観光ガイドパンフや、小樽の歴史にまつわる書籍の販売もあり、とても便利です。

 

 

島谷倉庫

明治25(1892)年 木骨石造1階建の小さな倉庫で、現在はアイスクリーム店として観光客の人気を博しています。室内側に木で骨組みを造り、外壁に石を積む小樽の倉庫によくある構造で、木と石を「かすがい」(鋼の両端を曲げ、先を尖らせたもの)でつないでいます。

 

高橋倉庫

2017年9月小樽芸術村の一環「ステンドグラス美術館」となって再活用されはじめました。

大正12(1923)年の創建当時、木骨石造り2階建ての倉庫には大豆が収められていました。倉庫は梁、屋根の三角の木組みは、クイーンポストトラス(対束小屋組)と呼ばれる堅牢な構造となっています。

  

 

篠田倉庫

大正14(1925)年、木骨レンガ造り2階建て。地味な石造りの倉庫が並ぶエリアで、赤銅色のレンガ造りが際立っています。2016年夏より大型レストラン「輝-HIKARI-」(364席)として利用され、主に団体ツアー客に人気を博しています。

 

 

磯野支店倉庫

明治39(1906)年竣工、レンガ造りの2階建て建築物で、昭和の後期・村松友視の小説「海猫屋の客」に描かれた、居酒屋「海猫屋」(2016年10月閉店)として有名になりました。

小林多喜二の小説「不在地主」のモデルになった新潟県佐渡出身の商人・磯野進によって創建され、佐渡で醸造した味噌などの保管庫として活用されていました。屋根には防火のために瓦が使われ、屋根部分の木骨の組立には、キングポストトラス(真束小屋組)構造になっています。

 

浪華倉庫

大正14(1925)年、運河完成の2年あとの竣工。木骨石造り1階建て、大規模な建物で、以前は、250席以上のキャパをもつ、ブッフェ式の大型レストランとして活用されていました。今回訪問の際は、土産物販売や小規模の貸店舗として利用されていました。

屋根には採光用の円形の小屋根があり、荷物の搬出入部は海側・運河側の両方に配置される利便さが図られているそうです。

 

日本石油倉庫

大正9(1920)年木骨石造りの1階建ての典型的な建物で、木骨の組み方はクイーンポストトラス(対束小屋組)。平成10年の運河公園オープンに合わせ、新しい石にて改修工事されたため、綺麗な外観となっています。

 

その他、歴史的建造物の認定はなくても、こんな倉庫が街中にあるのが小樽の魅力です。

  

 

日本石油倉庫の前には運河公園があり、小樽レトロ建築の白眉[日本郵船]があります。次回は、そこに行ってみましょう。[工場・運河篇]はこちら。

 

 

小樽の商家めぐりの第二弾。引き続き、運河のそばの色内町を中心に、駅のそば・稲穂町の商家なども見て回ります。

[岩永時計店]

現在は稲穂町に場所を変えて商売を続けられている、岩永時計店の初代の店舗です。明治29(1896)年竣工、木骨石造りの2階建てで、正面2階にバルコニーがあり、中央の半円型アーチ扉に手摺は、平成に復元されたものです。瓦葺きの屋根を飾る鯱など、細かな意匠も見事です。

 

[金子元三郎商店]

明治20(1887)年築の、木骨石造り建築で、飼料や物産品の海運業を営み、政治家としても活躍した金子元三郎のオフィスです。防災用のうだつを備え、2階の窓には純白の漆喰い塗で、華やかを添えています。

 

 

[前堀商店]

昭和初期の竣工、木骨鉄網コンクリート造り、一部木骨石造りの3階建てのビルディング。 銅鉄商「前堀商店」の店舗兼住宅でした。鉄骨と木骨の併用で、正面は赤褐色のレンガ風のタイル仕上げで、縦長の鋼製枠のついた窓になっています。訪問時は、古物商が閉店、お引越しをされておりました。

 

[越中屋ホテル]

昭和6(1931)年、鉄筋コンクリート造4階建て。明治30年代以降、英国のガイドにも掲載された旅館で、ここは外国人専用の別館でした。外観は、中央にある縦2列のベイウィンドウや両脇の丸窓と垂直の窓割りなどが特長です。

内部にもアールデコ様式のステンドグラスなどの装飾があるらしく、是非、内部を公開して戴きたいですね!

 

[旧早川支店]

明治38(1905)年、木骨石造2階建ての店舗は、文具やお茶などを扱う早川商店から暖簾分けされ、旧早川支店と呼ばれています。一方、暖簾分けされた、川又氏の店なので「川又商店」という看板がサイド(写真・右下)に掲げられています。

稲穂町大火で全焼した後の再建で、分厚い土塗りの防火戸、隣との境界に設けられた袖壁があり、朝日、鶴、亀の彫刻が施されています。

 

 

[旧塚本商店]

大正9(1920)年、木骨に鉄網コンクリートの2階建てで、近江商人の呉服店の店舗でした。外壁はコンクリート塗り、出入口や窓にも防火戸が設営されています。

 

[旧小堀商店]

昭和7(1932)年竣工、小樽の有力な繊維商人・小堀雄吉の呉服問屋として建てられました。寄せ棟の2階建て、木骨にモルタルを塗ったコンクリートの外壁、なぜか玄関脇に船の錨が据え付けられています。

 

[旧作左部商店蔵]

明治初期に作られた、土蔵造りの2階建て。蔵は母屋に付属した耐火構造で、。明治初期の

小樽の蔵は土蔵造りで、何度も大火に襲われた明治後期に、木骨石造に変わたのです。

三角形になった壁面の妻壁には、唐草模様があしらわれています。

 

[向井呉服店支店倉庫]

レンガ造り4階建て、向井呉服の支店倉庫で、現在はカフェバーとして活用されています。小樽の倉庫は木骨石造りが多く、レンガ造は珍しい存在です。明治37(1904)年の稲穂町の大火直後、明治40年の竣工で、窓の内側には厚い土塗りの防火戸が設置されています。

 

 

[丸余白方商店]

創建は明治末期~昭和6年、木造で、一部木骨・石造りの3階建て。積丹町で創業した日本酒の醸造店「丸ヨ白方」の支店で、お酒や食品雑貨店として長く使われていました。写真は裏側から見た構図で、木骨石造りの倉庫と、奥が店舗兼住宅で洋風建築で、現在はエスニックなファッション雑貨店として使われています。

 

最後の白方商店は稲穂町のセントラルタウン都通りにあり、JRsの育った地のすぐ近くで、懐かしい限り。さて、次回は、運河沿いの倉庫を追ってみましょう。