正しさの基準とは? | 迷えば原点

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医療法人翠章会 すまいる歯科 理事長・山村洋志明が書き綴ったブログです。

あけましておめでとうございます。

すまいる歯科の山村です。


いよいよ2011年もスタートしましたね!


みなさんそれぞれが、それぞれの希望を持ち、新年をスタートされたと思いますが、いかがおすごしですか?

連日の宴会で、太り気味の方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、健康が第一であります。


お互い気を付けましょう(笑)



さて、年始にあたり、いろいろな目標や夢を設定しましたが、今年もきっと激動の1年になるのでしょうね。




良いこと、悪いこと。


ラッキーなこと、ありえない確立でのアンラッキーなこと。



そのすべてが、今の段階では想像すらできないことだったりもする。




頭の中がパンクしそうになるが、体はひとつなので、優先順位というものがある。



でも、その優先順位が正しいのか、間違っているのかなんてわからない・・・



たとえば、「今、のどが渇いている」のなら、「水を飲む」ことがおそらく正解に近いのだろう。

しかし、その時に、

1、水を飲むか

2、ジュースを飲むか

3、ビールを飲むか


という3択があるとしたら、仕事中でなく、短期的な正解としたら、どの選択肢も正解だと思う。



しかし、年間を通して、例えば、血糖値を気にしている人なら、ジュースは選びにくいし、尿酸値を気にしている人ならビールは選ばないだろう。



つまり、その人のもつ背景によって、選ばれる選択肢は異なるということなんだよね。



これに気づけないでいると、経営のTOPに立つ人間としてはあまりよろしくないだろう。


僕は、この5年間、僕の信じる道を突き進んできた。

その道は間違ってはいなかったと信じている。


しかし、従業員や、患者さんに先ほどあげたような3択を考えもせずに、提示してた可能性は否めない。





自分の価値観の中での正解。




しかし、相手にとっては、絶対に選べない選択肢であることだってある。



もちろん、そんなことを言い出したら、きりがない世界だということもわかっている。




でも、相手としっかり話し合うことで、そして、相手を理解することで、正しい選択肢に近づくことはできると思う。



そして、相手を理解しようとするためには、時間が必要ということ。





時間・・・




これは、どうしようもなくコントロールできそうで、できないものだ。



なぜなら、みんな足りていないんだからさ・・・時間が。




僕はできるならば、間違いではなく、正解を選ぶ人生を歩みたい。

まぁ、みんなそうだと思うけど(笑)




そのためにも、とにかく自分だけの考えではなく、相手の意見をしっかりと聞く「時間」をとらなければならない。



その「時間」をとらなければ、正解などにはたどり着けないのだから。



人には、それぞれ個性がある。


正義にもそれぞれの正義がある。


欲求にもそれぞれの欲求がある。


怒りにもそれぞれの怒りがある。


イライラにもそれぞれのイライラがある。


感動にもそれぞれの感動がある。


涙にもそれぞれの涙がある。




みんな、それぞれなんだ。




正解なんて、存在しないかもしれない。





でもね。





少しでも正解に近づきたいと思うから。





その正解は、僕にとっての正解じゃないかもしれないけど、


目の前の人の正解だとしたら、理解してあげたい。



それが、僕にかかわりのある、ご縁のある方なら、なおさらだ。




僕は、正解を当てる人になりたいんじゃない。



大切なのは、



「目の前の相手が心の底から、その答えを正解だと感じている」ことなんだ。




人は、それぞれである。





正しさの基準は、自分が決めるもの。




それぞれが決めること。




そして、納得できるかどうか。





たとえばスタッフが答えを出す時に、

「ねぇねぇ、院長。仕事終わったら、少し相談したいことがあるので1杯つきあってください」




と、相談してもらえるのかどうか。





僕は、正解を教えたり、導いたりする人になりたいんじゃないし、そんなの価値はない。



ただ、誰かが何かを決定するときに、


「私の決定をそばにいて、聞いてください・・・」



と、いってもらえるような、経営者になることだ。








新年から、深ぇな・・・。