みなさんこんにちは。
岡崎市・豊田市の歯医者 すまいる歯科の山村でございます。
私が生まれてから30数年間、いろいろな人との出会いや別れがありましたが、最近になってその出会いに何らかの法則性があるのではないかと感じ始めてきました。
自分にしかわからない感覚、いや、自分にもわからないような感覚に共鳴できる人が私の周りにいてもらえているのだなぁ、つくづく思う。
『気が合う』とか『気が合わない』とかは、数字や言語で簡単にあらわせるものではなく、まさに『感性・感覚』の問題なのだ。
同じ言葉を異なる2人にかけられても、心地よく思う人もあれば、それほど心地よく思わない人がいる。
私が心地よく思わなかった人であっても、心地よく感じる人も必ずいる。
方法・手段がまったく同一状態でおこなわれてでもだ。
たとえがあまり良くないが、『セクハラ』や『パワハラ』も同じことで、同じ行動をしたとしても、ある人はスキンシップで、ある人はセクハラという具合になってしまう。
法的にも、当事者が不快であると感じればセクハラとして成立してしまうそうだ。
なんともこの世の中はむずかしい・・・
そうなると、もはや方法論ではなく、感性・感覚の問題、つまりは『気が合う』か『合わない』というその人その人の主観に左右されることになる。
そんな形のないようなものをどのようにして、見分けて、探せばいいのだろう?
まさに途方もない作業になってしまう・・・
でも、その難題に、ひとつの答を導いてくれる言葉と出会った。
それは・・・
『縁の糸(えにしのいと)』
この言葉は、マラソンの高橋尚子選手の監督である小出義雄監督の著書『君ならできる』に書いてあった言葉だ。
久々に、私自身『ぐっときた』言葉だった。
『赤い糸』なら、今まで聞いたことがあったが、人と人とのつながり、出会いは、すべて『縁の糸(えにし)』で結ばれているというのだ。
この言葉をみて、少しわかったような気がした。
自分にとって、誰と気が合うのか、合わないのか。
日本の1億人の中から探すようなマネなどしなくてもいいのだ。
『縁』を大切にする。それが大事なのだ。
『自分の縁』
『友達の縁』
『親の縁』
『先輩の縁』
『後輩の縁』
自分の周りで親しくしてくれている、友人は自分の感性に合致している友人であろう。
そんな友人の『縁の糸』で結ばれている人もまた、自分の感性に合う人が多くいるのだろう。
それは、『親』も『後輩』も同じことで、『縁』は大切にしなければならないのだ。
むしろ、どうしても『縁』がない人もなかにはいるものであり、それに執着すると自分が苦しくなったり、トラブルが起こったりする。お互いが気まずくなることもある。
その『縁』こそが、自分の感性に合うか合わないかの重要なポイントなのではないかなぁ。
『縁の糸』・・・
縁を大切にして、これからも生きて行きたい(願)
最近、真面目なブログを書いていなかったので、久々に書いてみました(笑)
それではみなさん、明日から新しい1週間が始まります。
はりきっていきましょう!!