新聞記事に、

 

 

『不登校30万人…』と、掲載されていた(^◇^;)

 

 

 

原因とか、相談しているとかしていないとか、

言語化できる範囲で

数字化されて、

見えるように表現されていて。。。

 

 

 

クラスに数人はいるようになっているらしく、

身近な話題にもなる。

 

 

 

 

「ちゃんとみてあげないと。」

 

 

「ずっと行ってないんでしょ?大丈夫?」

 

 

 

 

…などなど、

わからない人たちは、

各々の立場から、

想像できる範囲から、

意見をいう。良かれと思って。

 

 

 

 

数字化されて、

見えるようになって、

ゆくゆくは、

困っている子どもや親に手が届く情報やシステムができるのは、

すごく嬉しいこと♪

これはメリットだと思う。

スポットが当たって、

社会が少しずつ変わっていく過程。

 

 

 

 

でも、スポットが当たることによって、

その過程の中で、

好奇の目にさらされて、

いつも傷つくのは、

当事者たち。

 

単なる数字を見た、記事を見た、

わからない人たちから、

カテゴライズされること、

レッテルを貼られること、

既存の価値観に見合った正義や正しさ、ノウハウを押し付けられること。

 

 

 

言葉で表現して見える化するには、

ある程度、

カテゴライズする必要はあると思うし、

それが支援に必要だということもわかる。

 

 

でも、、、

 

 

 

『不登校30万人』

 

 

 

 

この30万人のひとり、一人、

みんな、ちがう。

 

不登校でなくても、

学校に行っていても、

みんな、ちがう。

 

 

ただ単に、

 

『不登校』で表現できるものでもなくて。

 

わかりやすいから、

『不登校』っていうワードを使っているだけ。

届けるために。

 

 

ひとり一人に、

そのご家庭に、その周りの人たちに、

それぞれの物語があって、

現状は、

既存のシステム上、、、

そういった状態、その過程の途中にいる、

というだけ。

 

 

原因→結果、といった

単純に結びつけられるものでもなく、

個人、家庭や社会システム、歴史、、、

そんなのが複雑に絡み合って

今があるから、

 

 

本当は、

個人や一家庭の問題ではなく、

簡単に言語化できるものではなく、

社会の課題、

みんなのこと、

誰しもが当事者だと、

わたしは思っています^^

 

 

 

 

 

今現在、

 

”30万人も、

あの時のわたしと子どものような思いをしている人たちが

いるのかもしれない。”

 

 

と思うと、

ココロがしんどくなる。。。

 

 

 

その渦中にいる人たちは、

知っているのだろうか?と思う。

 

未来があることを。

 

 

 

 

 

その時、

たまたま学校に行けなくても、

未来では、

大学や専門学校に行っている人もいて、

仕事をしていたり、

好きなことをしていたり、

家庭を持っている人もいる。

 

 

 

通信制の高校や、

学びは、大人になっても、いつでもできること。

 

 

 

こういった情報を知っているのだろうか?って、思う。

 

 

 

”これしかない”って思っていないだろうか、と思う。

 

 

 

 

 

悩む時、

落ち込む時って、

ひとは長い人生の中で必ず数回あると、

今まで生きてきたり、

人生の先輩を見ていて思う。

 

 

成長期で、

ホルモンバランスが変化しやすい時期に

そういった状態になる子どもがいるのは、

ある意味、

ごく自然なこと。

 

 

そういう時に、

安心・安全に休めること、

 

 

そういう自分に合ったあらゆる選択肢と、

選べる情報が、当たり前に身近にあること、

そういう社会であることが、

 

 

 

どんな人も生きやすい、

心地の良い社会ではないのだろうか…?

 

 

 

なんて、

思ったりする( ´ ▽ ` )

 

 

 

 

”今は、安心して、悩んで引きこもっていいんだよ♪”

 

 

 

そんな大丈夫な社会の一員でありたいな〜、

 

 

 

 

あなたのせいでは、

ありません。

 

 

 

…と、

言える大人でありたい、と、

思うのです^^♪

 

 

 

 

 

〜みんなちがって、みんないい♪〜