自分が関係することで何かが起こった時に、

 

 

「もっと、がんばらなきゃ。」

 

 

「自分のがんばりが足らないからだ。」

 

 

 

…と、思うことが多いなあ、と思う。

子どもが学校に行けなくなった時も、

 

 

「わたしの子育てのがんばりが足りない。」

 

 

…と、

思い込んでいたし。

そう信じているから、

そういう信念だから、

自分のことには気づきにくいのだけれど、

人がこういうことを言っているのを聞くと、

 

 

 

『いやいや、そうじゃない。

 がんばりが足りないんじゃない。

 十分がんばってるやん。

 あなたががんばってどうにかなることじゃない。』

 

 

なんて、

冷静に俯瞰してみている自分に気づく(笑)

 

 

 

 

”がんばれば、どうにかなる”

 

 

 

…という信念を、

育ってきた環境の中で、

いつの間にか身につけてきたんだろうなあ、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

色々あって( ´ ▽ ` )、

 

 

”わたしががんばっても、どうにもならない”

 

 

という経験をしてくると、

この”がんばれば、どうにかなる”というわたしの信念は、

ガラガラと崩れ去って、

過去の信念となっていて。

 

 

でも、

人の課題に首を突っ込んでがんばるのは、

もうだいたいやめたけれど、

 

自分のこととなると、

なんか、がんばるの好きなのか、

”がんばれば、どうにかなる”

と思っているのか、

がんばってしまう、ことも未だ、ある。

 

 

そして、

自分の中で自分に結果を求め、

望む結果、望むパフォーマンスに至らないと、

なんだか不満で、

またがんばる。

 

 

 

あーがんばってるなあ…って、

 

 

 

呼吸が浅くなり、

肩に力が入り、

痛みや疲れに鈍感になっている、

視野が狭くなっている自分に、

ふと気づくことがあって。

 

 

 

 

「わたしはワタシに何を求めているのだろう…?」

 

 

 

…って思いを巡らせてみると、

 

過去の自分(もっともっと若い時^^)と比べていたり、

わたしが思う(世間)、人に望まれるであろう自分だったり、

自分が思う完璧な結果であったり、する。

 

 

 

まあまあ、

高いハードル(苦笑)。

 

 

現状と大きなズレがあったりする(^◇^;)

非現実的な。

 

 

いやいや、

見て見て、気づいて。

 

 

わたしは、

あの頃のような20代ではないし(笑)、

 

人にどう思われるかなんて、

世間なんて、

変わるし人の数だけあるから、

求めても求めても、時間の無駄、

 

 

 

 

 

今のわたしは、

どう感じていて、

どうしたいの???

 

 

 

…と、

深呼吸して、

外に、

ようわからん方に向いていた目を、感覚を、

自分の内側に向ける。

 

 

 

好きな音楽を聴いたり、

好きなことをしたり、

ひとりでぼーっとしたり、

ふーっ…と、

カラダの力を緩める時間を作って。

 

 

 

 

年々、

体力は落ちてくるし、

子どもの話にはついていけなくなるし、

言葉も出にくくなってくるし、

 

できるできないで言ったら、

できないことは増えてくるけれど、

 

 

その分、

自分の”好き”がクリアーになってきたなあ、と思う。

いっぱい動けないから、

自分が動ける分は、

自分の好きなことだけ。

 

 

見える物も、見えないものも含め、

余分なモノは捨てて、

 

自分にとって大事なことやものに、

かける時間を大切にしている、感覚。

 

 

 

それは、

人とはちがっているかもしれないけれど、

自分にしか、わからないことだから。

 

 

 

自分にしか、わからないことだから、

自分がわかってあげたい。

 

 

 

がんばる自分も、

割と好きだったりするしなあ。。。

 

 

 

それもまた、わたしであったりする^^

 

 

 

 

 

〜みんなちがって、みんないい♪〜