わたしは小さい頃から、

 

怒っている人が近くにいると、

その怒りが自分に向いていなくても、

 

 

気づくと…

 

肩は上がり、

歯をぐっと噛み締め、

手を握りしめ、

呼吸は浅くなってしまいます。

 

 

カラダが、ガチガチに硬くなってしまう。

 

 

無意識に。。。

 

 

 

 

 

そういう日は、

どっと疲れたように感じます(*´Д`*)

 

 

カラダが重くてだるい。

 

何もやる気がしない。

 

頭痛がする。

 

食欲がない。

 

 

 

 

これが毎日続くと…

 

 

起きられない。

 

ふらふらする。

 

耳鳴りがする。

 

吐き気がする。

 

 

…までになってしまう^^;

 

 

 

 

それでも頑張り続けると、

 

 

気分がふさぎ込む。

 

誰とも会いたくない。

 

痩せる。

 

起きられない。

 

 

…に、至る^^;

 

 

 

 

 

怒りはそもそも、二次感情。

 

 

怒りの根源には、

悲しみがあって、

 

ひとは、

悲しみをどうにかするために、隠すために、

自分を守るために、

 

怒る、という感情の選択を無意識にしているそうです。

 

 

…ということは、

悲しみが大きいほど、

怒りは大きい。

 

 

大きな悲しみの爆弾が襲ってきたら、

大きな怒りの防御をしなくては、

大きな悲しみにやられてしまうから。

 

 

 

その、

怒っている本人すら気づいていない

その人の中にある

気づいてもらえない悲しみが、

 

怒りのエネルギーと一緒に

わたしの中に、

流れて入ってくるように、

わたしは感じるわけです。。。

 

 

 

わたしのじゃないのに(^◇^;)

 

 

 

 

 

そんな自分を悲しみから守るための

人の怒りのエネルギーが、

 

無防備な、

わたしの中に入ってくるように感じるのですから、

 

 

そりゃ〜

わたしのカラダは自分を守ろうとします。

 

 

 

だから、

カチコチに硬くなる。

 

 

『これ以上、入って来ないで!』って。

 

 

鉄壁のガードをしてくれているわけです^^

 

 

 

 

 

一日中、

どこから襲ってくるかわからない

怒りと悲しみのエネルギーから守ってくれたカラダは、

クタクタに疲れ果てます。

 

 

 

毎日続けば、

毎日戦争で攻撃を受けているようなものだから、

ボロボロになって、

休息が必要になってくるのは、当然。

 

 

 

 

 

 

こんな自分のカラダの性質に気づいていない頃は、

カラダのだるさは、

自分のカラダの弱さ、

自分が弱いからだと思い込んでいました。

 

 

だって、

周りの他の人は

カラダへの影響もなく、

普通に生活しているように見えたから。

 

 

みんな、

我慢しているものだと、

 

わたしの我慢が

足りないものだと、

思っていました^^;

 

 

 

 

 

娘が不登校になった小学生の時、

担任の先生は、

机を蹴るような怒りを表現する方だったようで…

 

 

娘が、

上記に書いたような状態になってしまいました。

 

 

同じ教室にいても、

娘のように学校に行けなくなる子どももいれば、

そうでない子どももいる。

 

 

自分のこともあったので、

 

 

 

感じ方って、人それぞれちがうんだなあ…と、

 

 

 

感じ方のちがいを

娘の出来事を通して教えてもらい、

 

 

 

見えないけれど、あるんだなあ…

 

 

…と、

弱さではなく、自分の性質なんだ、と

受け入れるようになりました^ ^

 

 

 

 

 

わかったからと言って、

どうにもならない時の方が多いけれど、

 

 

 

”今、自分のカラダは

わたしを守ってくれているんだ。”

 

 

 

…と、

わかることで、

 

自分のために、

自分に優しく、

早めに休んだり、環境を調整したりすることが、

以前より、

できるようになったかなあ、と思います^ ^

 

 

 

まず、

自分を整えて…

 

怒りも悲しみも、

ふわっと包めるような

そんな人で在りたいなあ…と、思います♪

 

 

 

 

 

 

〜みんなちがって、みんないい♪〜