わたしは、
中学生の娘のことを、
この上なく、
かわいい、愛おしいと感じています^ ^
朝起きて、
仕事から帰って来て、
顔を見ると、
胸のあたりが、
キュン、というか、
ポカポカしてきて、
表情が緩む( ´ ▽ ` )
あ〜幸せだなあ、って思う♪
生まれた時から、
ずっとそう思っているのですが、
小さいお子さんのいるお母さんと喋っていて、
「かわいいのは幼稚園の頃まで〜」
…というのを聞いて、
う〜ん…っとひっかかった。
『いや、ずっとかわいいやん。』
…って♪
でも、
ふと思い返す。
『かわいくないな。。。』
…と、
感じたこともあったなーって。
そういう時のことを思い浮かべると、
子どもが、
忘れ物をしたり、
時間ギリギリ、間に合わなかったり、
片付けなかったり、
学校に行くか行かないかで迷っていたり…
…と、
自分が急いでいる時とか、
自分が困っている時とか、そんな時で。
これって、
子どもがどうのこうのではなく、
自分に都合が悪いから。
自分の思い通りにいかないから。
…だよなあ、と^^;
忘れ物をしたり、
時間ギリギリも、
子どもが困るだろうというのもあるけれど、
先生の評価が気になったり、
(お母さん、ちゃんとしてるんですか?っていう…)
自分の用事の段取りがくるったり、
片付けないのも、
散らかっていると
それを片付けるというタスクが一つ増えるので、
自分が思い描いていたスケジュール通りに事が運ばなくなる。
学校に行くか行かないかで迷うのも、
自分が電話しなければいけないから。
対外的なことはだいたい、
先生にや周りの人に迷惑かけるんじゃないか?
こう考えると…
自分は、
自分の予定通りに物事を進めて、
人にいかに迷惑をかけないでいるか…?
…ということを
生活の上で何より重要視している、ということに^^;
気付かされるわけです。
そうなると、
”どうして?”が、見えない。
子どもが、
どうして忘れ物をするか?
どうして、時間ギリギリになっちゃうのか?
どうして、学校に行くか行かないか迷っているのか?
”どうして”を付け足すと、
あ〜、
何に困っているんだろう?
…と、
子どもの表情や一挙手一投足が
目に入ってくる。
はたまた、何か他のことに気を取られているのかな?
…と、
自分の頭が動き出し、
子どもを見るように、
子どもに聞くように、
子どもに話すようになる。
多分、そうすると、
もう、
子どもがかわいくない、なんてどっかに飛んでる。
必死になるから、
子どもと向き合うことに^^
わたしは、
子どもの不登校で、
とことん…
”どうして?”
を突き詰めさせてもらう機会をもらって…
おかげさまで、
部屋が散らかっていようが、
表向きのことがどうなっていようが、
子どもが愛おしくてたまらない(笑)
生きてるだけで、
奇跡だってことも教えてもらったから。
でも、
お母さんって、
子どもを生んだ瞬間になるものではない、と今なら思います。
生んだ瞬間、
いや、生む前から、
『ちゃんとお母さんやんなきゃー!』
…って、
身構えていたような…
だからこそ、
子どものためと思い込んでいた、
予定通り・迷惑をかけないように…
…が、
優先順位の高い方になっちゃってたんだろうな〜って。
反省もたくさんある、
失ったと思うものもたくさんある、
反面、
不登校という機会があったからこそ気づけたこともあるし、
もらった幸せな時間も出会いもたくさん。
子どももある意味、
人との出会い。
たまたま、親子なだけで、
人対人。
なのに、
おそらくわたしは、ばーちゃんになっても、
子どものことを愛おしいと感じて
ココロをポカポカさせているだろうなーと思う。
なんてステキな出会いをもらったのであろう…♪
愛おしいと感じること、
そんな思いを感じてくれる
ココロを動かしてくれる自分にも、
ありがとうだな〜と…
めっちゃ横にいてる子どもを感じながら思う^^