散歩しながら、

この寒くて暗い冬の時期は、

昔から気分が憂鬱になりやすくて、苦手だなあ〜と…思う^^;

 

 

 

冷たい風がカラダに当たると、

血管がキュッと締まって、

カラダがギュッと縮こまって、

硬くなる。

 

 

そんな硬くなったカラダが、

同時に、

なんやわからん悲しい感情を

連れて来ることがあるから。。。

 

 

わけもなく、

悲しくなったり、

じーーーんっとしてきたり、

ココロが空っぽのように感じたり…

 

 

別に何かがあったわけではないのに、

 

 

???

 

 

起源のわからない、

名前のつけられない、

けれど、

今、ここにある感情を味わうのは、

 

 

わからないからこそ、

どうしてよいか、

わからなくて…

 

 

 

よりカラダを硬くして、緊張させて、

なかったことにしようと、

無視しようと、

深く、深く隠そうと試みる。

 

 

そうやって、

日々の中に埋もれていく感情たち。。。

 

 

 

 

 

何かがあった時に、

 

例えば、

仕事中に患者さんが亡くなった時、

わたしの中では、

溢れ出そうな悲しみや色々な感情があるのに、

プロだから、と、

わたしの感情たちは、

抑えつける…だけじゃなくて、

踏み潰してしまう。

 

 

すごーく感動した映画を観た時、

本当は涙がダーダー湧き出てきそうなのに、

周りは誰も泣いていないから、

その涙と感情は、

これまた隠してしまい、

こんな涙する感情はおかしいと否定してしまう。

 

 

これらは、

その時は、

起源も名前もある感情たち。

 

 

 

 

 

 

ずーーーっと、

奥の方に、

隠されて、

否定されて、

時間が経った無視された感情たちは、

 

 

出来事と切り離され、

起源も名前も忘れてしまう、失ってしまう。

 

 

 

でも、

わたしの中のどこかに居続けてくれていて…

 

 

 

 

 

何かの拍子に、

冷たい風が当たって、

カラダを硬くした時とか、

 

感情を封じ込めようと

拳を握り締め、

カラダを硬くした時と同じような感覚になった時に、

 

 

 

ふっと、

起源も名前もない、

わけのわからない感情が

出てきてくれる時があります^^

 

 

 

 

以前は無意識に封じ込めていたのですが、

 

最近は意識して、

そんな起源も名前もない感情を

じっくり感じるように。。。

 

 

だいぶ圧倒的な時もあるので、

時間と安心できる場所がある時に^^

 

 

 

 

 

不思議なもので、

感じて味わうと、

いつの間にか流れるように収まっていく感じがする。

 

 

感じると、

いろんな過去の記憶が一緒に蘇ってくるのですが、

それもまた、

流れるように流していくと、

気持ちが落ち着いていく感じがする。

 

 

 

 

路頭に迷った迷子の感情たちを

自分の中に感じてみて、

 

 

わたしは、

たくさんのわたしの、

起源も名前もある感情たちを抑えつけるために、

とてつもないエネルギーを使って生きてきたのだなあ、と、

さみしく感じました。

 

 

でも、

日常をちゃんと普通に過ごすために、

それが、

必要なことだと思っていたから、

自分を守るために、

良かれと思っていたのです。

 

 

 

よく、

がんばってきたよなあ、と思う^^

 

 

わたしも、

抑え付けられ、

否定され続けてきた、

感情たちも。。。

 

 

 

でも、

もう自分の感情を抑え付けて、

否定して、

記憶障害の名無しの権兵衛にして、

幽閉し続けるのは、

 

イヤだなあ、と^^;

 

 

 

 

 

じゃあ、これからどうしようか?と次に思う^^

 

 

 

時と場合によって、

日常生活を送る上で、

溢れる感情をある程度抑えることは

多分、必要、だと思われる。

 

なんせ、

圧倒的で、

すごいから♪( ´▽`)

 

 

でも、

抑圧することは、

感じたことを否定することとイコールでは、

なくてもいい、はず。

 

 

起源、名前のある感情を

そのまんま感じつつ、

 

それらを出せる、味わえる、

感受性が豊かなわたしでいられる、

安心だと思える場所、空間、時間、人、手段、

 

 

そんなのを

いくつか大切に持って、

わたしらしくいたいなあ、と、

 

 

 

散歩中のわたしの中の物語♪( ´▽`)

 

 

 

 

 

〜みんなちがって、みんないい♪〜