”わたしにとってのほんま(真実)は今にしかない”

 

 

 

…って言葉が、

風呂上がりに降ってきた^^

 

 

 

そうだよなあ…って思う。

 

 

 

お風呂上がり、

化粧水を顔にピチャピチャしながら、

ほっぺたと化粧水と指の間の感覚を味わう。

この感覚がわたしは好きなのですが…( ´ ▽ ` )

 

 

この感覚って、

今、その一瞬にしかない。

 

 

少し時が経つと

過去になるから、

その感覚の記憶には脚色が入ったり

都合良く、変えられたりする。

 

 

なので、

 

今にしか、

わたしにとっての”ほんま(真実)”はない

 

…と思うのです。

 

 

 

真実とは…

うそや飾りのない、本当のこと。まこと。

 

 

 

 

 

なのに、

ふと気がつくと

頭の中が、

まだ見ぬ先(未来)の不安や、

もう過ぎたこと(過去)のことで、

いっぱいになっていたりすることがある。

 

 

 

 

そんな時は、

好きな化粧水タイムのピチャピチャした感覚が

どこかにいってしまう。

 

ちゃんと化粧水は塗っているんだけれど、

自動的に体が動いているだけ。

 

気づくといつの間にか

終わっている…

 

 

頭の中のぐるぐるが勝ってしまい、

感覚は感じない。

封印される。

蓋をされてしまう。

どこかへいってしまう。

 

 

 

でも、

途中でふと気づくこともある。

そんな時は、

 

 

『あ〜っ…、また持っていかれちゃってた…^^;』

 

 

…と、

指先に意識を移して、

大好きな感覚を味わう♪

 

 

 

 

 

以前、

子どもが学校に行けないことが長く続き、

わたしの頭の中は、

まだ見ぬ将来の子どもの不安でいっぱいだった。

 

 

 

学校に行けない子どもはどうなる?

 

 

 

ニュースや新聞を見ては、

怖いトピックスばかりピックアップして、

子どもと重ね合わせ、

頭の中の未来の不安を増幅させる。

 

 

寝ている間も、

24時間365日、

そんなだったような気がするなあ…

 

 

体はほぼ自動的に動いている感じで

食事を味わうとか、

感覚を楽しむとか、

全然なくて、

 

むしろ、

そういう内からくる感覚に蓋をしていたような…

 

 

頭で考えて、

外から持ってきたことで

どうにかしようとしていた。

 

 

そんなこんなで、

記憶がないことが多々あります^^;

 

 

 

 

 

でもそんな時にも

感じなかったけれど、

わたしにとってのほんま(真実)が、

”今”が、

あったわけです。

 

 

 

子どもの未来の不安で頭がいっぱいのわたしの目の前には、

今を生きる子どもがいたのです。

 

 

 

子どもにとってのほんま(真実)も、

また、

”今”にしかない。

 

 

 

わたしは、

表向きには子どもを見ていたつもりだったけれど、

頭の中では未来の不安を再生し続けていた。

 

…と言うことは、

 

 

子どもの”今”にはいなかった。

 

 

 

一緒にいるのに、

一緒にいなかった。

 

 

時間軸がズレていた。

 

 

いるのに、

いないって、

 

いるのに、

透明なような感じで、

ちがうところを見ているって、

 

 

わたしが子どもの立場だったら…

 

なんかなあ〜…と、思い返す。

 

 

 

 

 

先日、

 

 

「お母さーーーん!わたしのことどう思う?」

 

 

…と、

何やら唐突に聞かれて、

 

 

「大好きーーー!!!」

 

 

…と、

返すと、

子どもがニコニコしていて、

わたしもポカポカした気持ちになる^^

 

 

 

あ〜〜〜幸せだなあ、と感じる”今”この瞬間。

 

 

”今”、

この気持ちは、わたしにとってのほんま(真実)で。

 

 

”今”をこの子と同じ時間軸に一緒にいるよなあ、と噛み締める。

 

 

 

 

 

もう、”今”をなくすものか。

 

 

…って、

 

この一瞬にしかないわたしの”今”を

子どもの”今”を、

 

大切にする、

自分の内側からくるものを感じるんだ、

 

…と、

思うのです^^

 

 

 

いっぱい、なくしてきたから。

 

何度も、自分の内側からくるものを

無視してきたから。

 

 

 

 

 

〜みんなちがって、みんないい♪〜