少し前、

体調が思わしくなかったのか、娘が、

 

 

「わたしは、自己肯定感低いから。」

 

 

…と、

つぶやきました。

 

 

 

「へえ〜自己肯定感低いって思ってるんだ。」

 

 

…と、

意外、と、母の感想を伝えるわたし。

 

 

 

 

 

少し落ち込み気味で、

モヤモヤしたものに包まれているように見える娘を見ると、

 

 

 

『どうにかしてあげなくちゃ。

 気の利いた言葉をかけてあげなくちゃ。』

 

 

 

…が、

もくもくとわたしの中に湧いてくるのを感じます( ´ ▽ ` )

 

 

 

 

『いやいや、これは娘の課題だから‥見守るんだよなあ』

 

 

 

と、思いつつも、

頭の片隅では、

あれこれ、どうしようか?フルで頭が回転しているのを感じる(笑)

 

 

 

自分の頭のフル回転を感じると、

娘のことはどうでもよくなって^^;

 

自分がしゃべっていることと、

頭の片隅で考えていることがチグハグで、

えらくエネルギーを消耗している自分に気づく…( ´ ▽ ` )♪

 

 

 

 

 

 

 

後で思う。

 

 

『このわたしの頭をフル回転させたトリガーは何なんだろう?』

 

 

娘の、

「わたしは、自己肯定感低いから。」

…という一言…の、

 

 

”低い”

 

 

なのかなあ〜と思ってみる。

 

 

 

”低い”の反対は、”高い”。

 

 

”低い”と聞くと、

どこかで、

『高くしなければっ…!』

 

 

と、思う自分に気づく。

 

 

 

”自己肯定感が高い”ことが、いいことだって、

世間が言うから。

 

 

そのいいことに、

世間がいいって言っていることに、

寄せようとする自分がいることに気づく(^◇^;)

 

 

 

 

娘は、たまたま自分の状態をどこかで聞いてきた

”自己肯定感が低い”

 

 

…という表現をした、だけ。

 

 

そんな言葉の表面だけとってきて、

 

 

”低いなら、高くしなきゃっ!”

 

 

…って、

なんかおかしいなあ…と思う。

 

 

 

 

 

その娘が発した言葉より、

わたしが娘を見ていて言葉にできないけれど

漠然と感じていたことは、

 

 

 

”今は落ち込む必要があるんだろうなあ…

この先の飛ぶ為に”

(言葉にするとこんな感じになる)

 

 

 

 

 

結局、

なんやかんやしつつ適当に過ごしているうちに、

娘は自分で回復、というか元気になった。

いや、むしろパワーアップした印象♪

 

 

 

後から答え合わせみたいだけれど、

わたしの言葉にできない漠然とした感覚通りになったように感じる。

 

 

 

これでいいのだ。

 

 

 

…って( ´ ▽ ` )

 

 

 

 

 

何でもかんでも、

言葉で論理的に説明しなきゃいけない。

 

 

…と習ってきたような気がする。

 

 

そして、

子どもにもそう伝えてきたと思う。

 

 

「言葉で説明して。」

 

 

…って。

 

 

 

人に伝えるツールとして、

言葉はとても大切なものだと思うのだけれども、

 

言葉にならない思いやフィーリングも、

また大切。

 

 

自分が感じたことを

素直に受け入れる。

 

 

言葉にできなくても、

誰にわかってもらえなくても、

自分がわかればいい。

 

 

 

娘の一言で、

何だかいっぱい拡がっていきました♪( ´▽`)

 

 

 

 

 

〜みんなちがって、みんないい♪〜