2002年9月25日IWA・JAPANプロレス青森・むつ市民体育館 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

IWA・JAPANプロレスは社運を賭けた8周年記念シリーズをむかえます。

9月25日 青森・むつ市民体育館

9月26日 宮城・岩沼市民体育館

10月1日 東京・国立代々木競技場第二体育館

むつ大会は、浅野オフィス時代から付き合いの深いプロモーターがいらっしゃるところ。

岩沼大会は浅野社長の出身地でもあります。

参加外国人選手

タイガー・ジェット・シン
ジプシー・ジョー
ドクター・デス
レザー・フェイス
フレディ・クルーガー
“大巨人”ドラゴ

大会前には『喫茶・タントラ』で決起記者会見を決行します。

タイガーもかなりの長身ですが、ドラゴは更に頭一つ抜けてデカイです。

新宿からいつものように選手バスに乗りますが浅野社長、タイガー・ジェット・シンも乗車したために“日本式トランプゲーム”開催はありませんでした。

後部座席のサロンシートは外国人選手に占領されます。

今シリーズでは、IWA久しぶりとなる練習生が帯同します。

2003年5月1日にデビューする岸勝也。

もう一人帯同する予定でしたが、ネギトロで当たって食中毒で無念の欠席の西山秀紘。
2004年3月16日にデビュー。

西山は、以来『ネギトロ』と呼ばれていました。

試合の記憶はございませんが試合後の大会プロモーターによる食事会の話。

むつ大会が終了して、IWA一行はホテルへ。

ホテルで一服してから歩いて行ける比較的大きなスナックが食事会の会場でした。

指定された時間にゾロゾロとスナックへ向かう選手達。

プロモーターのお目当ては、全国区の知名度を誇るタイガー・ジェット・シンです。

タイガーのパートナーであるYUJI  KITO選手が食事会の時間と場所をタイガーに伝える役でしたが、何故かKITO選手はその役目を練習生の岸に託します。

時間になってもロビーにタイガーが現れないのでKITO選手に訪ねると岸に頼んだとの返事。

岸「タイガー選手は、行かないみたいです。」

淳一「英語で言った?何て聞いたの?」

岸「レッツゴーパーティー!!」

と言ったらタイガーに「アー!!」と言われドアを閉められたそうです。

人一倍プライドが高く神経質なタイガー・ジェット・シンが練習生のヤングボーイに『レッツゴーパーティー』です(笑)

機嫌が悪くなるのも納得です。

慌てたのは、淳一レフェリーとKITO選手。

改めてKITO選手と淳一でタイガーの部屋に伺いますが機嫌が悪く取り合ってくれません。

浅野社長には、『タイガーは疲れていて機嫌が悪いみたいです。』

と伝えると困った表情を見せましたが、プロモーターには「タイガーはヒールだから機嫌が悪いみたいね。」

と分かりやすいのか?分かりにくいのか?

ビミョーな言い訳でその場を切り抜けました。

口が避けても練習生の岸に頼んで機嫌が悪くなったとは言えませんでした。