2002年8月3日IWA・JAPANプロレス北海道・札幌テイセンホール | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

北海道シリーズ最終戦の札幌テイセンホール大会。

札幌大会のみの特別参戦は、

ザ・グレート・カブキ選手
茂木正淑選手
杉浦貴選手(プロレスリング・ノア)

この試合前にゴージャス松野氏と浅野社長によるちょっとした、いざこざがありました。

北海道シリーズ試合後の連日接待営業は松野氏とタイガー。

浅野社長は松野さんに任せっきりで何もしなかったのでイライラも蓄積されて試合前に浅野社長に食ってかかります。

松野氏「何で俺ばっかり毎日毎日接待なんだ!!今日なんか静内から電車を乗り継いでタイガーと札幌入りだぞ!!」

浅野社長「新人なんだからしょうがないだろ!!」

浅野社長の意味不明な逆ギレ(笑)

この頃は、リング上同様に浅野社長と松野氏の間には溝が出来はじめてきました。

試合では、6月23日後楽園ホール大会のゴージャス松野氏によるカブキレフェリー襲撃が発端となり
“東洋の神秘”ザ・グレート・カブキが一夜限りの復活をします。

メインイベント6人タッグマッチ

三宅綾
一宮章一
ザ・グレート・カブキ
withMAYA

vs

YUJI  KITO
ウルトラ・セブン
タイガー・ジェット・シン
withゴージャス松野

得意のアッパーカット、トラースキックの衰えはなく場内のボルテージは最高潮。

タイガー・ジェット・シン選手とカブキ選手の注目の戦いは、触り程度で絡みは少し。

試合後にカブキ選手、一宮選手にいたぶられ、哀れグロッキー状態に。

松野氏「プロレスの厳しさがわかりました。レスラーデビューは諦めます。」

鼻水を垂らし、号泣しながらの本音のマイク。

カブキ「プロレスは甘いもんじゃないんだよ。わかったか松野。」

と諭すように語りかけ控室に引き上げます。

一人リングに残された松野氏は、カブキ選手達が控室に姿を消したのを確認すると、

松野「俺は役者もやってるんだよ。騙されるなんてレスラーは単純でバカだよな。」

場内大ブーイング!!

この発言に怒りの浅野社長がリングに上がり、ボロボロの松野氏に襲いかかり乱闘に。

浅野社長「レスラーバカにするのもいい加減にしろ!!こうなったら代々木で松野と6人タッグでやってやるよ!!」

一方、控室のカブキさんは、

カブキ「ほんとバカ負けした…。」

と一言発し、体重も20キロくらい落ちたし、もうリングには上がらないと宣言。

また、セミファイルでは、プロレスリング・ノアから杉浦貴選手が参戦。

ご当地札幌市出身の宇和野貴史選手とシングルマッチで激突。




最後は三角絞めで杉浦選手の勝利。
地元の声援を受けて奮闘するも勝利は掴めませんでした。
IWAは宇和野貴史選手に期待をかけ、会社を上げてメインイベンターに育ていきます。

新設された初代IWA世界ジュニアを巡る巴戦では茂木正淑選手が勝ち進み初代チャンピオンに。

ちゃぶ台にベルトを乗せ、元札幌中島体育センター中村館長と記念撮影。

大会終了後に“大巨人”ドラゴ選手はタイガーに一緒に飛行機に乗せてくれと懇願。

バスの中で“日本式トランプゲーム”でカモにされたトラウマでしょうか?

『とうとうドラゴ、タイガーにチクったよ。』

『タイガーに怒られるなぁ~。』

↑淳一レフェリー心配の心の声。

ドラゴは、自腹で飛行機に乗り北海道を後に。

『ドラゴの来日は今回限りだなぁ。』

と思っていましたが、次期シリーズになに食わぬ顔で再来日します。