2001年12月14日IWA・JAPANプロレス後楽園ホール | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

11月4日の札幌テイセンホール大会で衝撃の初登場を果たした松野行秀氏が、聖地・後楽園ホールに逆上陸します。

札幌大会での噂が広まり、この日の後楽園ホール大会は、観衆もマスコミの数も半端なく、IWA・JAPANプロレスいや、松野氏に対する期待感が大半を占めていました。

先の会見でリングネームも『ゴージャス松野』に改めます。
(ザ・グレート・カブキさん命名です。)

メインイベントタッグマッチ

三宅綾
一宮章一

vs

YUJI  KITO
タイガー・ジェット・シン
withゴージャス松野

松野さんは、レスラーとしての出場ではなく、マネージャーとしての出場。

沢田亜矢子さんの前夫、マネージャーとしての経験はありますが、プロレスのマネージャーとは勝手が違います。

また、この試合には、一宮選手と松野氏の間で敗者女装マッチとしての条件も付けられていました。

敗者女装マッチになった経緯は忘れてしまいましたが…。IWA・JAPANプロレスらしいです。

この日、開場前に今までなかったちょっとしたトラブルが起こります。

民放のワイドショーが数社、取材申請がありました。
IWAにとっては宣伝のチャンスでしたので来るもの拒まずです。

しかし、後楽園ホール側からカメラ1台につき、数万円(正確な値段は忘れました。)の撮影代金の請求がありました。

現場に来たカメラマンやADさんは寝耳に水でしたので、局の上の方に連絡を取って支払いをしていました。

なかには、お金がかかるならという理由でキャンセルをしたテレビ番組も1、2社。


きらびやかな衣装をまとい手には竹刀を持って入場。
ホストクラブ『愛』本店にも在籍していましたので背中には『愛』の文字。

タイガーとのコンビも様になっています。


場外乱闘では、後ろから的確に指示を出しているように見えます。


場外では竹刀を手に大暴れ。

試合は、ゴージャス松野氏の竹刀がKITO選手に誤爆して、三宅選手の勝利。

よって次回1月後楽園大会では、ゴージャス松野氏の女装が決定します。
さらに新宿二丁目で女装して働くことに。

一宮選手「おい!!松野!!テメエは今日からニューハーフだ!!」

試合後のコメントはマスコミの数があまりにも多いので急遽、後楽園ホールの展示場を追加料金で、貸しきり行います。


プロレスマスコミ以外に芸能関係も多数。
以降試合後、後楽園ホール展示場の会見が定番になります。

IWA・JAPANプロレスは、地上波も巻き込む激動の2002年に突入します。

淳一レフェリーが団体広報に就任してから1年未満。
試練はまだまだ続きます。