1999年8月15日新日本プロレス両国国技館 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

日本最大のゲイタウン新宿二丁目にある
『猛牛クラブ』

IWAに突如現れた太野レフェリーの経営するスナック『猛牛クラブ』のアルバイトを誘われた淳一少年。

前回の電話での呼び出しには、しゃぶしゃぶをご馳走になり、オープン前のお店でカラオケをして帰りました。

太野レフェリー「これからお前の持ち歌は“まつり”だから…。」

と意味不明なことを言われますが、アルバイトをするという明言だけは避けていました。

後日、また太野レフェリーから電話がかかってきました。

淳一「もしもし。」

太野レフェリー「淳一。新日本プロレスのG1クライマックス最終日のチケットあるけど行くか?」

淳一少年は、インディー大好きで正直、
メジャー団体には興味がなかったですが、 せっかくの誘いを無下に出来ずに行く旨を伝えます。

太野レフェリー「お前、夏休みだろ?G1の後、ちょっと店手伝ってくれねぇか?」

イエスともノーとも言えずに迷っていると、

太野レフェリー「プロレスファンが沢山来るからお前がいてくれるとプロレスの話が出来るから助かるんだよ。」

淳一「わかりました。」



プロレスファンだったら平気か~。

でも新宿二丁目だからゲイの人も来るよなぁ~。

不安を胸に当日を迎えます。



現地で太野レフェリーと合流しチケットを受け取ると招待券でした。

太野レフェリー「試合後の打ち上げのチケットも渡して置くから無くすなよ。」

太野レフェリーは、あまりプロレスが詳しくなく(興味がなく)試合が始まっても、
じっとしてなく、電話をしに立ったりウロウロ。
『この人忙しいのか?落ちつかない人だなぁ~。』
淳一少年の太野レフェリーに対する印象です。


試合はプロレスファンの皆様はご承知の通り、中西学選手が武藤敬司選手を破り初優勝を飾ります。

今回、ブログを書くにあたりネットで調べて中西選手が優勝したことを改めて知りました。武藤選手は1日3試合したんですね。
申し訳ございません。
大会の記憶はまったくございません。

試合後に両国国技館内にある大広間で打ち上げに参加させていただきました。
後にも先にもG1クライマックスの打ち上げに参加したのは今回限りです。


淳一少年も大入り袋をいただきました。
中身の金額は忘れました。

上井営業部長から渡されたスタッフ証。

太野レフェリーは猛牛クラブ名義で相当な枚数のチケットを捌いていました。
特に上井営業部長と親しくしており、今回のチケットも打ち上げの招待券も上井営業部長が用意したものでした。




打ち上げ会場に入ると太野レフェリーが招待券を渡した猛牛クラブのお客さんが数名おり各々、顔見知りらしく和気あいあいとしている中、淳一少年だけが一人所在無さげにしていました。


太野レフェリー「しょーがねぇーな。」

と言って上井営業部長から色紙数枚とインスタントカメラを受け取り、淳一少年を連れて選手と記念撮影やサインをお願いしに練り歩きます。


右上)大谷晋二郎選手
左上)安田忠夫選手
下)金本浩二選手


上)藤波辰爾選手
下)越中詩郎選手


上)佐々木健介選手
下)橋本真也選手


上)吉江豊選手
下)小島聡選手


上)蝶野正洋選手
下)武藤敬司選手

中でも、小島選手、橋本選手、武藤選手、
吉江選手、天山選手、西村選手あたりは
太野レフェリーとちょっとした顔見知りでした。


打ち上げパーティーはまだまだ続いていますが、

太野レフェリー「満足しただろ、行くぞ」

と言い猛牛クラブのお客さん2人を加え4人でパーティー会場を後にします。

向かった先は……。