7月24日、25日 避暑地・斑尾高原 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

日常のお話。

7月24日、25日に妻と義理の父と3人で斑尾高原にリフレッシュに来ました。

3人で旅行に行くのは昨年11月の鬼怒川以来です。

妻からは「貴方はプロレスで各地に行けて良いですね~。」

と良く嫌みを言われるので年に何回かは
家族旅行を心掛けています。

自分もお陰様でプロレスを通して全国各地にお邪魔しますが、窮屈なスケジュールの為、観光らしい観光は出来ないのが現状です。

大宮から新幹線で1時間、長野に到着。


信州そばを食してから、善光寺へ。






2014年1月12日に信州プロレスアリーナで行われたアイスリボン長野大会の試合前に訪れて以来です。

あの時はジューク岡村さんと限られた時間の中、慌ただしく訪れたのを思い出しました。

信州プロレスアリーナは、リングが設置されており、割と時間が取れる場合が多かったです。
過去にはショートコースでゴルフを楽しんだことも…。



途中、ブルーベリー狩りを楽しんでから、
宿泊地の斑尾高原に。

夕食は飲み放題コースにしましたが、
疲れているのか?
生ビール×1杯、芋焼酎水割り×2杯でギブアップ。

酒豪の成宮真希さんに見られたら

「淳一さん、情けないっす!!」

バカにされるレベルです…。


翌日、野尻湖観光を経て、自宅に帰ります。





長野冬季オリンピックから18年も経っているんですね。

淳一少年はこの頃、IWA・JAPANプロレスリングスタッフに夢中で関わっていた時期です。

当時、18歳の高校3年生。


長野オリンピックと言えば、
IWA・JAPANプロレスに来日していた、
レザー・フェイス選手
(2代目、奥様が日本人で大の親日家です。)
に、長野オリンピックのTシャツを頼まれて渡したことを思い出しました。

レザー選手には、オリックスブルーウェーブのイチロー選手のTシャツを渡したこともあり、このときは、

「TシャツにYouのサインを入れてくれ!!」

と頼まれました。

何度確認しても同じことを言うので渋々、
カタカナで『イチロー51』と書きました。

日本にいる当時から海外でもイチロー選手は有名でしたから、母国に帰って自慢でもしたのでしょうか?



これから一度、帰宅してから、夕方から
歌舞伎町で飲みの予定です。

35歳、体力が心配です…。



次回はプロレス回顧録について書きます!!