7月24日、25日に妻と義理の父と3人で斑尾高原にリフレッシュに来ました。
3人で旅行に行くのは昨年11月の鬼怒川以来です。
妻からは「貴方はプロレスで各地に行けて良いですね~。」
と良く嫌みを言われるので年に何回かは
家族旅行を心掛けています。
自分もお陰様でプロレスを通して全国各地にお邪魔しますが、窮屈なスケジュールの為、観光らしい観光は出来ないのが現状です。
大宮から新幹線で1時間、長野に到着。
信州そばを食してから、善光寺へ。


2014年1月12日に信州プロレスアリーナで行われたアイスリボン長野大会の試合前に訪れて以来です。
あの時はジューク岡村さんと限られた時間の中、慌ただしく訪れたのを思い出しました。
信州プロレスアリーナは、リングが設置されており、割と時間が取れる場合が多かったです。
過去にはショートコースでゴルフを楽しんだことも…。

途中、ブルーベリー狩りを楽しんでから、
宿泊地の斑尾高原に。
夕食は飲み放題コースにしましたが、
疲れているのか?
生ビール×1杯、芋焼酎水割り×2杯でギブアップ。
酒豪の成宮真希さんに見られたら
「淳一さん、情けないっす!!」
バカにされるレベルです…。
翌日、野尻湖観光を経て、自宅に帰ります。


長野冬季オリンピックから18年も経っているんですね。
淳一少年はこの頃、IWA・JAPANプロレスリングスタッフに夢中で関わっていた時期です。
当時、18歳の高校3年生。
長野オリンピックと言えば、
IWA・JAPANプロレスに来日していた、
レザー・フェイス選手
(2代目、奥様が日本人で大の親日家です。)
に、長野オリンピックのTシャツを頼まれて渡したことを思い出しました。
レザー選手には、オリックスブルーウェーブのイチロー選手のTシャツを渡したこともあり、このときは、
「TシャツにYouのサインを入れてくれ!!」
と頼まれました。
何度確認しても同じことを言うので渋々、
カタカナで『イチロー51』と書きました。
日本にいる当時から海外でもイチロー選手は有名でしたから、母国に帰って自慢でもしたのでしょうか?
これから一度、帰宅してから、夕方から
歌舞伎町で飲みの予定です。
35歳、体力が心配です…。
次回はプロレス回顧録について書きます!!