全日本女子プロレスの追っかけファン | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

全日本女子プロレスのアルバイト時代には追っかけと呼ばれるファン方とも仲良くなりました。



全日本女子プロレスの各選手には10人前後の追っかけのファンがいました。

堀田祐美子選手
山田敏代選手
井上京子選手
伊藤薫選手

などは女性ファンが多く、逆に

豊田真奈美選手
井上貴子選手

などは男性ファンが多かったと記憶しています。

追っかけファンの方はお目当ての選手以外には興味が無く、他の選手が試合しているときには会場外で選手の愛犬を散歩したり、お目当ての選手と雑談したり、思い思いに過ごしていました。

全日本女子プロレス以外の団体にもリングスタッフに参加しましたが、この光景は全女以外では目にすることはありませんでした。



ある日、リングスタッフの休憩時間に岸さんから一人の男性を紹介されました。



一緒に撮った写真を探したのですが出てきませんでした。
本人は似ていないと言っていましたが佐々江学リングアナウンサーに風貌が似ていました。


ファンの仲間からは『テツさん』と呼ばれていましたが、自分は名字で呼んでいました。
このブログでは『テツさん』で統一したいと思います。


テツさんは男性では珍しく伊藤薫選手のファンで仕事が休みの日には、車で各地に観戦に訪れる熱心なファンの一人でした。


自宅が藤沢市ということで横浜市戸塚区の実家にいた高校時代には、リングスタッフで汗まみれの自分を嫌な顔せずに自宅まで何度も送り届けていただきました。
(車で30分くらいの距離です。)

仕事はトラックドライバーということで道に非常に詳しく地図を見ずに会場まで来ていました。
(当時はカーナビなどありませんから凄いことです。)



2015年8月1日の昼にテツさんから電話をいただきました。

テツさん「“淳坊”久しぶり~。今何してるんだ~?」
※今でもテツさんは“淳坊”と呼んでいます。

淳一「今日、試合で三原に来ています!!」

テツさん「三原ならリージョンプラザか? 川の隣の会場でしょ?
○○年に全女で観に行ったことがあるよ~。」

このように、全日本女子プロレスでは年間多数の興行を行っていた関係でプロレス会場にも非常に詳しい人でした。

また、プロレスが無い日にも食事に誘っていただいたりして非常に可愛がっていただきました。
(祖母はテツさんのそんな人柄に好印象でした。)

17歳の頃、テツさんから2人の女子高生を紹介されました。

記憶が曖昧ですが確か一つ下の16歳だったと思います。

メグとシー。

メグは井上京子選手のファン。
シーは堀田祐美子選手のファン。

毎回、短いスカートの制服姿にルーズソックス。
思春期の淳一少年には目のやり場に困るくらいの格好。

神奈川県立商工高等学校電気科に通っていましたが、クラスには女子がいなく、同年代くらいの女子高生との会話は免疫不足。

平静を装っては、短いスカートからパンツが見えないかなぁ。
そんな事ばかり考えていました。

結局、彼女達は1年くらい追っかけをしてプロレスから離れて行きました。

次回は初めて体験したダブルヘッダー
(全日本女子プロレス)の話をしたいと思います。