1996年7月31日FMW南大沢・マルチパーパスプラザ | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

高校生1年生夏休みの淳一少年は、後のプロレス人生の転機を向かえる人と出会います。

まずは対戦カードから。



会場は南大沢・マルチパーパスプラザ。
南大沢駅ができる前は八王子マルチパーパスプラザという名称でした。

京王相模原線『南大沢』駅を出で右に進むと直ぐという好立地。インディーや女子団体が主に興行を行っていました。

この会場の他にいすゞ自動車大和体育館、
戸田市スポーツセンター、
大宮スケートセンターなど、今思い返すと昔は都内近郊に良い会場が揃っていました。

屋外会場ですが、リングの上には屋根が備わっており、よっぽどの大雨で無い限りは中止にはなりませんでした。

7月23日飯能大会で高橋部長にチケットを事前にお願いしていましたので、受付で予約したチケットを購入しました。

驚くことに最前列です。(写真ではわかりずらいですが“高崎”とシャチハタが押されています。怪しいです。)

翌日の汐留大会(vsミスター・ポーゴ)に
参戦すべく、来日した
“テキサス・ブロンコ”テリー・ファンク。

立ち位置はIWA・プエルトリコ軍です。

席に座ると、セミファイナルがデスマッチ形式の試合だからか?わかりませんが、
リングと1列目の距離が少し遠く感じました。

試合が始まると隣の男性がやけにバカでかい声で声援をします。

自分も隣の男性に負けじと声援をおくります。

第1試合が終わりふと隣を見ると、男性は
1リットルの牛乳パックを飲んでします。

淳一少年心の声『えっ!?なんでこのくそ暑い中、牛乳なの!?この人なんだ!?』

第4試合でTAKAみちのく選手の場外ダイブで自分と男性付近に選手が飛んできます。

男性は、牛乳パック片手に避けます。

淳一少年心の声『危ないなぁ~。牛乳こぼれちゃうよ。』

デスマッチ準備のため休憩時間を挟み、
運命のセミファイナル。

有刺鉄線バリケードタッグデスマッチ

スーパー・レザー&テリー・ファンク
vs
五所川原吾作&ミスター・ポーゴ

(ロープを外さずロープに直接有刺鉄線を巻き付ける形式。)

スーパー・レザー選手の入場で事件は起こりました。

いつもの如く、チェーンソーを振り回しながらの入場。

カメラを壊された過去のトラウマで淳一少年は一足早く逃げます。

台風のようなレザー選手の入場が終わり、
席に戻るとイスは地面に倒され、牛乳浸しに…。

淳一少年心の声『あ~あ。やっちゃったよ。牛乳なんか持って来るなよ!!』

イスを手にしていると男性は、

男性「ごめん、ごめん。ちょっと待ってて。」

と言いイスを片手にどこかに消えました。

3分くらいでしょうか?
男性は新しいイスを持って戻って来ました。

淳一少年心の声『この人なんなんだ?』

セミファイナルが終わり、デスマッチの片付けのために短い休憩が入ります。

ここで始めて男性と会話をします。

男性「さっきはごめんね。家に牛乳が余っていて、勿体ないから持って来たんだよね。ハハハ。」

淳一「そうですか。よく観に来るんですか?」

男性「よく会場にはいるよ。リングスタッフと言って会場設営したりリング作ったりの仕事しているんだ。」

淳一「自分はリッキー選手のファンクラブの会長をしています。まだ、会員はいませんが…。(名刺を渡す)」

男性「そうなんだ。学生さん?」

淳一「高校生です。」

男性「リングスタッフの仕事に興味があったら連絡ちょうだい。明日の汐留もいるから声かけて。」

こんな内容の会話をしたと思います。
渡された1枚の紙には名前と連絡先が書かれていました。

男性の名前は、岸さん。(本人の許可を取っていますので実名です。)
パンチ田原さんのリングスタッフでアルバイトしている方です。

メインのリッキー選手はタイトルマッチ。
岸さんは田中選手組を応援。
自分は、おじさんの声援に負けるかとリッキー選手組を全力で応援。

試合は選手権者組が防衛。
リッキー選手はこの会場での戦績はあまり良くありません。

全試合が終了して、岸さんは会場撤収の作業にうつります。

よく見ると自分と同じくらいの高校生らしき人も会場撤収しています。

淳一少年は後ろから、岸さんの撤収作業姿を眺め、先程まで『怪しいおじさん』と思っていた男性が羨ましくもあり、なによりとても格好良く見えました。

自分もあの輪の中に加わりたい!!

『明日、岸さんに会ったらアルバイトお願いしよう!!』


【追記】

5月4日(水)アイスリボン横浜文化体育館大会にリングスタッフ(会場整理)として、
岸さんに来ていただきます。

岸さんがいなければ、後にIWA・JAPANプロレスに関わることもできませんでしたし、レフェリーデビューもしていなかったと思います。
佐藤淳一プロレス人生においては無くてはならない人です。

5月4日横浜文体は、リングスタッフ時代の師匠が見守る中、メインのリングに立ちます。

このように選手、スタッフがそれぞれの思いを胸に横浜文化体育館大会に挑みます。

アイスリボン10周年とは別の
『佐藤淳一プロレス人生』のもう一つの
横浜文化体育館大会。
小さな人間ドラマかもしれませんが、普段ブログを見ている方に観ていただけたら幸いです。