前回のつづきです。

 

外資系証券会社を退職して、本業はがん患者さん支援活動、

 

生活の糧を稼がないといけないので隙間時間に働くことを試みたところ、なんと大学で働きませんか?というお誘いを受けたというお話しの続きです。

 

大学発のベンチャーのお手伝いをしてほしい、と言われたのです。

 

いまどこの大学も大学からベンチャービジネスを作ろうという動きですが、当時はまだ珍しかった。

 

私は、いろんなところで自己紹介していました

 

こんな感じ

 

「これからは、がん患者支援活動をしたいです。だけど、ど素人の私がすぐに何かできるわけじゃないので、まずは、自分のバックグラウンドである「ビジネス」と医療をつなげるような何かお手伝いが出来たら嬉しいです。お仕事くださいな」

 

こんな感じで、よくもまあ恥ずかしくもなく、初めての人とお会いするたびにそう語っていました。

 

そうしたらある大学の先生から大学発のベンチャーのお手伝いをしてもらえないかと言われたのです。

 

理由は、、

 

大学の先生は、実業の世界のビジネスを知らないし、営業のやり方も知らない、

 

だから、大久保さん、営業やってください。というものでした。

 

まず、東京大学から来ました。

 

ここにある医療関連のデータを使って何かビジネスを作ってほしい、というものでした。

 

 

データの中身は説明を受けても、専門的過ぎてわからないのですが、イメージはつきました。

 

だから早速、やってみるわけですが、、問題はお手当。。

 

私の立場は、教員でもなく、職員でもありません。

 

特認研究員という立場で、給料が出ます。

 

ただですよ、、、時給●●●円というもので、

 

私、30年ぶりに「時給」の世界に入りました。

 

大学生時代に「時給●●●円」という表示のアルバイトをしていましたが、

 

外資系証券では、年収●●●円の世界で、毎年、大きく減ったり増えたりする大雑把な世界でした。

 

 

その特認研究員の私が、何かビジネスを作って収益が5000万円と、1億円とか上がっても、私は時給のみの生活です。

 

それになじめなかったので、最初からどんなにうまくいっても、最低賃金の時給では(私も含めて)だれも大学発ベンチャーのサポートなんかしませんよ、と助言したら、

 

わかった、成功報酬型にするから!と言われたのです。

 

確かにあの時、そういわれた、、、

 

そんでもって、1年間一生懸命頑張って民間の企業と2つのビジネスを作ったのです。

 

でも、国立大学には成功報酬を雇用者に払う仕組みはないと言われ、、ちゃぶ台のわたしはサヨナラしたのでした。

 

仕事自体は楽しかったし異業種でも実力発揮できたので自信になったのですが、

 

その成功報酬ちゃぶ台だけじゃなくて、、いろいろあって心はサヨナラになりました。

 

色々は次回お話しします

 

つづく~