❏❏❏ 回顧録:2007年9月21日 東京・自宅

 

ステロイド療法77日目、3回目の手術から44日目

 

9月の平日、私はまだ会社に行けるような体調ではなかった。

 

※   既に17年近くが経ったいま、こうして振り返り闘病記を書いているが、あの頃は厳しかったと思う。先が見えず、ちょっと歯車が狂っただけで、また入院・治療の世界に戻る気がしていた。

 

この日からプレドニンが10㎎に減薬された。

 

患者は、薬の量が減ると嬉しい。

 

治療の世界を卒業できるかもしれないと思えるからだ。

 

プレドニン(合成副腎皮質ホルモン剤)は、持病の薬とは異なる。

 

アレルギーの薬のように、毎日、服用しても問題ない、という薬ではない。

 

いわゆるステロイドで、免疫系を抑える作用がある。

 

ただ、長く服用していると様々な副作用が出てきてしまう。

 

一方、急にやめると禁断症状のように、反動で病気がぶり返す可能性がある。

 

だから、毎月、少しずつ減らして、身体が減っているのをわからないでいるうちに、ゼロにする。

 

そんな微妙な原薬が必要だ。

 

この日も体のいたるところが悲鳴を上げていた。

 

15時間の手術でできたお腹の傷は、硬く痛いままだ。

 

長時間のオペで生じた合併症・胸郭出口症候群、左腕は痺れて腕を上にあげられない。

 

抗がん剤の合併症・間質性肺炎により、常に呼吸は荒く、肺が窮屈な感じがしている。

 

リンパ節郭清術により、お腹にリンパ節がない。

 

だから、脚は浮腫み、手も浮腫んでいた。

 

 

この日は、ホテルのレストランで会社の人とランチを食べた。

 

いつ頃、復帰できるのか?聞かれたが、答えることはできなかった。

 

なぜなら、自分の体調がいつどれくらいまで回復するか?まったくわからないからだ。

 

 

食事の後、近くにあったデパートに行き、平日の昼間、デパートの中を回った。

 

よたよたしながら、回った。

 

何か買いたいものがあるわけじゃない。

 

少しでも歩いてリハビリしなくちゃいけないけど、外は暑いし、危険だ。

 

だから、冷房の効いているデパートの中を歩いてリハビリしようと思ったのだ。

 

 

3回目の手術から44日が過ぎていたが、服飾には程遠い体調だった。