皆さん、こんにちは!
かすみがうらマラソン翌日の昨日は、さすがに筋肉痛で身体がカチコチしか動かなかったですが、
2日目の今日、結構、関節と筋肉が動く感じです。
なにより、嬉しいのは「ケガ故障していなかった」ことです。
実は、かすみがうらマラソンでは、久しぶりに「ロキソニン」飲みました。
市民ランナーって、結構、アスピリン薬を飲むのですが、
私は、2018年のサロマ湖100㎞本番で、かなり服用して、終わってみたら、左足アキレス腱の炎症がわかり、
長期離脱故障者リストになっちゃったので、あれ以来、ロキソニンはやめていたのです。
※ちなみにロキソニンなどの消炎鎮痛剤は、国際的に「ドーピング」の禁止薬物には入っていません。速いランナーたちも消炎鎮痛のために使うことが結構あると聞いています。私の友人ランナーたちも、勝負レースでは、携行して走っています。
さて、昨日はマラソンというスポーツから、フィジカルな「老いとの闘い」を書きましたが、
今日はメンタル的なことを書きます。
今年、60歳になる私ですが、やはり、60代という言葉に重みを感じます。
「年齢なんて単なる数字だぁ~」
という言葉は大好きなのですが、どうしても年齢を意識させられる。
具体的には、マラソン大会のたびに、年齢区分が表示されるのです。
例えば、完走賞に「50代で〇〇位」とか、大会に申し込むとき、生年月日を入れて「大会当日〇〇歳」とか、あります。。
そして、最近では友人たちが「還暦で定年退職しました。来週からは、嘱託として雇用されます。再雇用です」なんてFacebook投稿をみかけると、
ああ、やはり60歳は大きな節目なんだなあと感じてしまいます。
自分では、心の中で一生懸命に反発していても、社会から「あなたは60代のかたですよね」と意識させられるし、
仕事では可能性というか、選択肢がわずかしかないことを思い知らされます。
※選択肢が減るのは雇用される場合のことです。自営業であれば、極端に言えば、選択肢無限大になると思います。
職業選択の幅がぐっと狭まる。
これは、メンタル的に「老いてしまいます」。
しかも、役職もなく賃金も低いとなると、まるで「期待されていない」かのように感じてしまい、元気でないですよね。
これまでも書きましたが、私はなんと49歳の時にその経験をして、
このままじゃプレッシャーにつぶされると思い、今日まで便力で走ってきました(=仕事のことです)
ただ、60歳になる今、これからの10年、メンタル的に老いないように自分にあらがってみようと思います。
いつまでも「清潔で若い服装」ここは大事にしたいと思います。