❏❏❏ 回顧録:2007年8月20日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法45日目、3回目の手術から13日目

 

※後腹膜リンパ節郭清手術により、腹部から取り除いたリンパ節約50個は、がんの壊死組織だった(2007年8月13日)。

 

 

この日、朝、看護師が朝食を運んできた。

 

ロールパンにマーガリン、牛乳、目玉焼き、、

 

手術前に見たいつもの食事だ。

 

「大久保さん、今日から普通のお食事になります」

 

 

手術直前は、柔らかい食事だった。

 

消化をよくするためだ。

 

その後、長時間のオペのあとは、点滴で栄養分を取り込む生活が続いた。

 

 

そして、三分がゆ、五分がゆ、七分がゆ、そして全粥

 

そんな生活に移行していたが、今日はついに普通に戻った。

 

 

こうして進歩が目に見える形で現れると患者は嬉しい。

 

 

食事のあと、若い医師が来て、残っていたドレインパックを確認した。

 

茶色の液体は殆ど溜まっていない。

 

 

「大久保さん、ドレインも取りましょう」そう言って、右のわき腹から出ていた管を取り外した。

 

この瞬間、何とも言えない解放感を味わった。

 

やった!ついに最後の管が取れた。

 

 

手術後、身体から10本も管が出ていてぞっとした。

 

不自由極まりない生活が続いていたが、オペから13日目、ついに最後のビニールチューブが取れた。

 

 

少しずつだが前に進んでいる実感が嬉しい。

 

切ったお腹は、あいかわらず4か所が茶色になっている。

 

弾力が無く、まるで死んだ組織のようだった。

 

 

一方、背中はというと腰のあたりが左右、茶色くなっていた。

 

左側のほうが色が濃い

 

電気メスでお腹を切ったのだ。

 

 

それまであった筋肉が真っ二つに切られたのだ。

 

まるで包丁で魚のお腹を切るかのように。

 

 

医療ホッチキスで切った皮膚を留めたからって、元の筋肉のようにつながるなんて有り得ない。

 

これは時間がかかる。

 

1年、2年と長い年月が必要と先生から言われた。

 

茶色くなってしまった自分のお腹、

 

一日中、ズキズキと痛んでいた。