この「定年と老後」シリーズは、現在私が59歳になり、いよいよ世の中的には定年の年齢となるので、
10年前に定年というか、、、社会に放り出されたというか、、出たというか、
その実態から、これから定年と老後を迎える人に参考になる部分をご紹介しているものです。
まず、「49歳定年」がどういうことか?もう少し詳しくご説明します。
私が勤めていた外資系証券は、私が入社した1999年 日本に約1500人くらい従業員がいた会社でした。
しかし、50歳以上の従業員は、当時10人前後だったと思います。
20人かもしれませんが、それにしても年配者が少なく若い人たちの会社なんですよ。
もちろん、定年という考えはありません。
しかし、こうなると(なんとか組織で生き延びたとしても)50歳以上で働くのは、結構 珍しいというか難しいです。
だから、40代後半で定年間近みたいな感覚でした。
そして、私は「患者支援活動」をしたいとして会社を辞めたのですが、最大の誤算は、慈善団体からは給料が出ないと後で解ったことです。
こうなると、そこで初めて定年リアルを知ります。
49歳の時、長女が中学3年生、長男が中学1年生。。
まだまだ子育てにお金がかかる時でした。
一方、49歳は、既に50歳代と同じように労働市場では見られ、
ハッキリって、受け入れてくれる会社なんてほとんどありません。
ゴールドマンで働いていた時は、時々、ヘッドハンターから連絡が来て、年収の○倍払うから、うちの会社に来てよ!みたいなお誘いが来ていましたが、自分で辞めて49歳だと、
ヘッドハンターからの連絡は、殆どなくなりました。
私から、連絡して紹介して貰ったのがいくつかありましたが、異業種は50代間近という年齢と未経験で成り立ちませんでした。
※これについては、後日書きます。
だから、今59歳ですが、59歳とか60代とかなると、畑違いの業界で勤め人として採用されるなんて、可能性は非常に低いはずです。
※ご参考までにですが、、当時、収入がない期間が続き、かなり息詰まっていたとき、「ある医学会の事務局長をやりませんか?」というリクルーティングご紹介を受けました。(収入がゼロになって困っていたので)一応お話を聞きにいったところ、採用担当者の男性は、私の履歴書をピラピラさせて「こんなひとに来てもらっちゃ、困るでしょ!!うちの職員たちからしたら、宇宙人が来たみたいで、みんな辞めちゃうよ。こんなひとダメだよ!」私の横に座っている人に、私の履歴書をピラピラと振りながら「帰ってくれ」と言われました。目の前で履歴書ピラピラさせてかなり失礼な話ですが、つまり、外資系とかいうだけで、嫌われて、チャンスが低くなると感じました。ゴールドマンだったら、どこでも行けるでしょ、みたいなこと言った友人がいましたが、真逆で、、こんな人がうちに来たら、みんな嫌がるし、あんたも、私たちのこと嫌がるにきまってる、みたいなひどい言われ方でした。
畑違いへの転職は、厳しいです。
だから、なるべく今の会社にいるほうが良いですよ、とか、
再雇用は受けるべきですよ、とか、
外に出れば、もっと低い給料で小僧の丁稚奉公になりますよ、とか言ってる訳じゃないですが、現実は厳しいと思います。
ただ、私が当時思ったことは、
「生活のお金のために働くなんてしちゃだめだ。49歳だろうが、65歳だろうが、どうせいつか「これからの人生どう生きるのか?」という時が来るんだから、いま、この問題にたいする自分の答えを出さなきゃだめだ」
そう思って、自分がやりたいと思っている「がん患者支援活動」に突っ走ったのでした。
何でもそうだけど、一生懸命にがんばっていれば、収入とか、お金とかは、別の形であとからついてくるはずだ、そうとも思って、
後半の人生にやりたいことに邁進していたら、、
確かに、別の形で、収入が入ってきて、なんとかなりました。
※もちろん、何とかなるためには、必死で色んなことしたし、我慢もしました。これも別の機会に書きたいと思います。
だから申したいのは、これでして
後半の人生、畑違いのことをやろうとしたら、
お金とか生活は、一時的に大変かもしれませんが、
変に妥協することなく、「自分は何をしたいのか?」という永遠の課題に向き合うことは、とても大切だと思います。
やりたいことが真っ当なら、多くの場合、生活は何とかなるとおもいます。
※特に私の場合、子供たちが中学生の段階で49歳定年なんてやってしまったからことさら大変でしたが、一般的な、子供たちが成人とか社会人しているかたならば、あまり心配せずとも大丈夫だと思います、という事を綴っていきたいと思います。