※ 会社を辞めることにしたが、患者支援活動ではお給料が出ないと解り、最初から多難な船出となった。なんとか、生活を立て直さなくてはと思い、「自分との約束ごと」を幾つか作った。一つ目は、「お誘いはすべて参加する」、2つ目は「毎朝、家を出る」。
定年になると、社会に自分の役割がなくなるので、午前からビールを飲んでリビングで「終わった人になる」と本で読んだことがある。
私も、最初の3週間そんな感じだった。
午前からビールは無かったが、10時頃起きて、たらたらして、あっという間におひるが過ぎて、午後は缶チューハイを飲んだりした。
そんな1日を送っていると、怖くなる。
しかし、どうしてもそんな生活になる。
理由は2つある。
一つは、会社務めを終え、社会で自分に役割が無くなり、毎日のルーティンがなくなってしまったからだ。
そしてもう一つは、ルールが無いことだ。
会社に勤めていたら、昼間っからデスクでアルコールなんて飲めない。
でも、自宅にいるとそれが出来てしまう。
弱い自分だ。
定年になると、毎日に予定がなくなる。
それなりに一生懸命入れようとするが、スカスカの毎日なのだ。
何も予定がない日が1週間平日5日間のうち、3日間、何もないなんて普通にあるのだ。
このままでは、大変なことになる、そんな想いがあった。
本で定年本をよく読んだ。
その中で、よく見かけたのは、定年になった主人公が、毎朝、散歩をするシーンだった。
犬の散歩、一人での散歩、定年仲間との散歩、
必死になって、生活を作っているさまが描かれていた。
「そうだ」
俺も、朝、出かけなくては、、
そんな心境になり、毎朝、パートに出かける妻に頼んで、一緒に家を出させてもらった。
何とも情けない。
朝、家を出るのに、一人ではなくて、妻と一緒に出掛けたいというのだから。
私のメンタルを心配していた妻は、「仕方がないなあ~」と許してくれた。
朝、家を出て妻と一緒に駅に向かうと、驚いた。
駅からと、駅へと、勤め人たちが大勢向かっていた。
通勤である。
「いいなぁ~。羨ましい」
思わずそんな言葉が出た。
みんな役割があって、居場所があって、働いている。
何もしていない自分が惨めになった。
でも、この惨めな体験が今は必要だと思った。
※がん患者さん支援活動をすると言って会社を辞めたが、具体的な活動はまだ出来ておらず、この頃は巨大な空白の時間の中にいたときです。
「こんな自分ではいけないんだ」そう思うために、毎朝、駅に行こうと決めた。
駅で妻と分かれると、私は、マクドナルドに向かった。
解ったのが、サラリーマンの多くが、駅のカフェとか喫茶店で出勤前にコーヒーを飲んでいるということだ。
だから、どこのカフェもサラリーマンでいっぱいだった。
丁度この頃(2013年~14年)、マクドナルドで、「朝、100円コーヒー」というのが始まっていた。
スタバだと、400円近くもする。
でも、マクドナルドなら100円だ。
収入が無く、生活に余裕がない私は、マクドナルドで、毎朝100円コーヒー、それだけを頼んで席で時間をつぶした。
本を読んだり、将来のことを思案したり、原稿なんかも書いていた。
こうして朝のリズムを作ることで、何とか奈落の底に行かなくてすんだ。
「平日、毎朝、家を出る」
これを繰り返したことで、定年と老後の最初の鬼門をくぐり抜けた感じだった。