※会社を49歳にて辞めることになった私、なにをどうしていいのか?わからない中、とりあえず突き進むと決心しました。
外資系証券会社に定年はない、と申しましたが、実際はそうでないです。
私が勤めていた会社は、入社当時、東京に1,500人くらい従業員がいましたが、
50歳以上の人は数えるほどしかいませんでした。
たぶん、1500人のうち、10人くらいじゃないかな。
だから、50歳までに会社を去ることが当たり前というか、当然みたいなもので、そういう意味では、
定年は50歳。
※もちろん、その前に解雇されたり、燃え尽きたり、ヘッドハンティングされて、去っていくのが一般的でした。
だから、私が49歳でやめるのは、日系の会社の定年と同じ感覚でした。
ただ、子供たちはまだ高校生、中学生。
私は、がん患者さん支援活動をしたいと思っているから、家族の生活をどうするのか?
という大きなの課題があるわけですが、、
自分への約束事を幾つか決めて、そのひとつ
ともかく、すべてのお誘いに出ることにしました。
まずは、飲み会のお誘いに出ること。
もう、会社辞めてしまった先輩たちから、時間あるならご飯にいこう~とお誘いを受けます。
その中には2種類の人がいて、1種類目は、GS引退後、何かやっている人。
例えば、自分で会社を興した人、友人たちと会社を始めた人、
そういう人は、忙しくしているので、ご飯行こうといっても、社交辞令的でなかなか予定が組めなかったりしました。
でも、皆さん、全力で働いている感じがして、しかも、先輩といっても、私より年下の人もいて、
なんか、普通に起業した、という感じの人たちでした。
ただ共通して言われていたのが
「もう、会社の看板は使えない。これまでは、ゴールドマンの○○さんだったけど、いまは、あんただれ?何その会社?から始まるからみじめだ。何か始めるときは、その覚悟を持たないといけない」
ということでした。
社会的な信用がない。
それは、その後、私も経験するのですが、想像以上に(定年老後人間には)きついなあという感じです。
もし「自分は○○会社の偉い役職までやった○○(名前)だ」なんて思っていたら、起業は失敗すると思います。
こういったことは、いろんな定年本に書いてありますが、
たかがNPO法人ですら、失敗します。
※ちなみにNPO法人は、毎年、3割が廃業していて、残り7割の半分が休眠状態です。つまり、1年を生き残れるのは35%の法人という狭き門です。
非営利活動法人だったらうまくいくと思ってはいけませんね。
そんなに甘くないです。
何かやっている人のことは、また、後ほど書きます。
もう一つの種類の人たちは、定年後、何もしていない人たちでした。
極端に言うと、毎日、カラオケに行ってるような人たち。
その人たちは時間があるので、すぐ、ご飯行こうとなるのです。
私は「多分、会っても、刺激的な話は少ないだろうなあ~」と思うのですが、
「お誘いはすべて参加する!」と決めたので、はじから行きました。
とにかくお会いして話して、感じたことは「会ってお話を聞いてよかった」ということです。
彼らの中には、更に2パターンの人がいました。
・何もしていなくて、幸せそうな人、
・何もしていなくて、不幸そうな人、
この2パターンです。
「定年引退後、何もしなくて幸せそうな人」は、もともとそれを待ち望んでいて、「これでいいんだ」と割り切っている感じの人たちでした。
よく何もしていないと、1か月で飽きるし、つらくなると聞きますが、
その人たちは、本当に幸せそうでした。
もう一つのパターンの、「何もしていなくて、不幸そうな人」は、よく定年本で読む典型的な不幸な感じの人でした。
社会とのつながりを失い、でも、何か始めようと思っても、結局何もできていない感じの人たちで、表情は明るくなかったです。
でも、世間一般から見れば、悠々自適の人たちですから、世間が思う羨みとはまったく違った印象でした。
じゃあ、なにかすればいいじゃん、と思うのですが、どうにもならないんだよ、ということを言っていました。
人間、気力を一度失ってしまうと、立て直すのはなかなか難しいのかなと感じました。
あと、どうしても「そんな仕事はしたくない。そんな役割はこなしたくない」となると、身動きが取れなくなるのだなとも思いました。
ちなみに、前述の1種類目、引退後、何かやっている人にも、2パターンいらして、幸せそうな人とと、不幸そうな人がいました。
こう整理すると、結局、定年と老後は、自分にとって何が幸せで、なにが不幸なのか?を解って、定年後に突入するのと、解らず突入するのでは、大きな差があると感じました。
これは、教科書のある世界ではないので、自分で回答を探さなければならないと思います。
回答の作り方が解らないという人も、少なくないと思いますので、回答の作り方(案)は、後日、書こうと思います。
つづく