皆さん、こんにちは。
今日は、諏訪湖マラソン大会の日ですが、結局、左腰の故障が治らず(残念ながら)棄権です。
すごく天気いいんですよ。
ああ、悔しい。歳を取るとけが故障が増えて困ってしまいますね。
さて、今日からは、自分なりに定年と老後を考えてみます。
なぜかというと、いま59歳、来年が還暦です。
しかし、私は49歳の時に、すでにそれと同じような経験をしてしまっているからです。
私が以前勤めていたのは外資系証券会社のゴールドマン・サックスという会社でした。
その会社は若い人たちが中心の会社で、年配の人はなかなかいません。
年功序列とは無関係の成果主義の会社で「定年」という言葉は存在しません。
だけど、、それに近い状況はあると言えばあるのです。
ただ、日本の企業との大きな違いは、人事部が定年みたいなことを説明する研修もないし、
定年を支える制度もありません。
外資系証券会社に入社すると、毎日「いつ辞めるのか?」を意識して働いています。
これは大げさな表現ではなくて、いつ解雇されるかわからないし、いつ燃え尽きて辞めるかもしれないから「辞め時」を意識して働いています。
しかし、やめた後のことを考えている人は僅かかもしれません。
私に関しては、「いつ辞めるのか?」を意識しながら毎年働いていましたが、やめた後、どこの会社で働くのか?それとも自分で何か始めるのか?なんて何も考えずに時間が過ぎていました。
老後にいくらお金が必要なのか?
この後、自分にどんな将来の可能性があるのか、ないのか?そんなことも何も考えていないうちに、やめてしまいました。
私の高校時代の先輩達や、私と同世代の人たちの話を聞いていると、同じように「これからどうするのか?」具体的なプランがないうちに定年間近になる人が多いです。
あっという間に定年=辞め時、間近がやってきて、どうしていいかわからないから、とりあえず、定年延長して、
そのあと、65歳近くになって、また、同じ人生の疑問=これからどうするのか?に直面すると聞きます。
10年も前に同じような状況を経験した私が、当時、なにを考えて、会社を辞めてから、どんなことになっていったのか?書いてみたいと思います。
まず今日は、出だしの出だし。
私は今書いている「5years設立まで」の中で、ゴールドマン・サックスで働きながら、がんの治療中の人たちを応援する役割をしているうちに、
使命感みたいなものを感じて、今後は、がん患者さんの支援をしていこうと決め、会社を辞めていくのですが、、
あの時は、どこかのNPO法人とか、支援団体で役割を頂いて支援活動をしようと考えていたのです。
そちらでお給料を頂いて働くことを想像していたのです。
そして、いくつかのNPO法人とか団体を訪れてお話を聞いていたのですが、
当時は、NPO法人のひととか、支援団体のみなさんは、お給料を頂いて活動していると思っていたんですよ。
そしたら、皆さん、そんな次元の活動にまでは至ってなくて、無給で活動されていると知って、えー、とびっくりしました。
主業がほかにあって、NPO法人での仕事は完全にボランティアとか、ご主人の収入があるので、無給ボランティアでも問題ないのだと説明されて、現実を知りました。
ましてや、自分で支援活動なんて始めたら、主業が支援活動だと、副業で生活しなくちゃいけないと分かり、、、
なんと49歳でサラリーマンを辞めて、何も収入がない状態で、社会に放り出されてしまいました。
これからどうやって生活していこう??
会社は辞めちゃったんだけど、このあとどうしよう??に近い状態になりました。
65歳を過ぎた先輩たちと同じような状況で、しかし、まだ家族を支えるために収入が必要という状況になってしまいました。
間抜けな話ですが、、
そうなってしまったのです。
つづく