❏❏❏ 回顧録:2007年8月9日 東京・慈恵医大病院
ステロイド療法34日目
がん2度目の手術(後腹膜リンパ節郭清手術)後、ICU(集中治療室)に移された。
ICUで過ごした日数はわずか2日間だ。
しかし、この2日間のことをよく覚えている。
ICUという部屋には窓がない。
実際にはあるのだろうが、患者が置かれている部屋には窓が無かった。
しかも、集中治療室というだけあって、24時間治療を受けている。
蛍光灯の電気はつけっぱなしだった。
窓のない部屋で、一日中蛍光灯がついている、
だから、今が夜なのか?昼なのか解らない。
医師も看護師も交代交代で24時間、いる患者を診ている。
みんなが頑張っているのを物語る象徴的なシーンを覚えている。
若い医師が「○○先生は、何にしますか?」そう聞いてきた。
私から遠いところにいる2人だったが、会話が聞こえたのだ。
「おれみそ」
確かそう言った。
それから時間が経って、年配の医者を見たら、、
かれは、小テーブルで「カップラーメン」を食べていた。
きっと、あれが味噌ラーメンなのだろう。
若い医師も、どこかで、カップラーメンを食べているのだろうと察した。
24時間治療を受け、体調が急変するかもしれないICUの患者を診るしごとは、大変だ。
やりがいは大きいかもしれないが、その分、大変さが付きまとう。
どれくらい時間が経ったのだろうか?
既に24時間は経ったはずだ。
私の身体についていた10本の管は、次第に抜けていき、
この時点でついているのは、
左腕の点滴、左右の体液を溜めるパック(2ヶ)、尿道のチューブ、口の中に入れられているチューブ、
5つになっていた。
それでも、身体はまったく動かない。
起き上がるなんて到底できない筋力になっていた。
沼崎先生がやってきた。
「大久保さん、いかがですか?」
そう言って私を見ると、
「顔がだいぶ、しっかりしてきましたね」そう言った。
この時、私はベッドの上で寝たきりで、自分の顔を見れていない、それがわかった。
「そうか、、おれは、手術後、そんなによたった顔をしていたのか、、」
すると、沼崎先生が「○○チューブを取りましょう」そういって、口から出ていた大きなチューブを引きぬいた。
ズズズズ、ズボオ~
一瞬、吐きそうに、オエッとなり気持ちが悪かったが、
大きなチューブが抜かれて、とても楽になったのを覚えている。
残りは4つだ。