❏❏❏ 回顧録:2007年8月9日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法34日目

 

がん2度目の手術(後腹膜リンパ節郭清手術)の日。

 

ICU(集中治療室)で「胸郭出口症候群」の発症、それを伝えられ失望した。

 

ただ、その後の記憶がない。

 

 

また、寝てしまったのだ。

 

 

手術を受けた患者は疲れている。

 

しかも、ICUに居る間は、一日中、麻酔を注入していた。

 

だから寝てしまうのだろう。

 

 

お腹を縦に33cm切って、15時間もそのままにして、閉じられた身体だ。

 

身体中が火を噴いたように発熱している。

 

しかも、今回のオペでは、輸血をしたと報告を受けた。

 

それくらい出血したのだから身体は大変な状態にある。

 

 

一日中、自動麻酔注入器で麻酔を入れなければ、気が狂いそうなくらい痛くて寝ることなんて出来ない。

 

人間、寝ることが出来なければ、身体が回復せず、どんどん大変なことになる。

 

だから、麻酔薬でつらさ、痛さを麻痺させて、眠らせる。

 

 

4度目に起きたときは、妻がICUにいた。

 

「あっ、目が覚めた」

 

そう妻が言ったのを覚えている。

 

 

私は眠っていて知らなかったが、少し前まで、オペをしてくれた3人のお医者さん達がこの部屋にいて、妻に報告してくれたそうだ。

 

みんな疲れ切った様子だったと言われた。

 

それはそうだ。

 

15時間、3人の先生たちは立ちっきりで、食事もとらず、トイレにも行かず戦ったそうだ。

 

※後日、木村先生に聞いた話だが、医者は、オペのときトイレに行きたいと思わないそうだ。

 

 

私が妻に聞いたのは、「いま、何曜日?何時?」そんな質問だった。

 

15時間といっても、それは、執刀を始めてから縫合が終わるまでの時間だ。

 

 

手術の準備のため、私が手術室に入った時間は、それよりもずっと早く、手術が行われるまでに、麻酔注射をしたり、人工呼吸器を取り付けたりと、時間がかかる。

 

また、終わったとでも、患者を回復させる隣の部屋で、寝かしていたりと時間がかかる。

 

 

妻が言うには、出てくるまでに17時間以上かかったのだという。

 

朝9時にオペ室に入って、17時間以上。

 

すでに、次の日に替わっていて、朝2時を過ぎていた。

 

 

不思議な気持ちだった。

 

時間の経過を知らない。

 

 

そして今解ることは、身体から10本も管が出ていて、見たこともない部屋に自分がいることだ。

 

幸せな気持ちなんて、これっぽっちもなかった。

 

手術が無事に終わってよかったなんて、思いもしなかった。

 

ただ、身体が全く動かせず、身体中が痛くて、3つ目の病気・胸郭出口症候群になって、情けなかった。

 

それだけだ。