❏❏❏ 回顧録:2007年8月8日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法33日目

 

がん2度目の手術(後腹膜リンパ節郭清手術)の日。

 

ICU(集中治療室)で3度目の目覚めをした私は、厳しい状況にあった。

 

身体から10本の管が出ていて、動けない状態だ。

 

 

そして何より、右腕をなかなか曲げられず、医師達が困っていた。

 

15分ほどして、整形外科の医師がやってきた。

 

 

ICUの医師達3人が見守る中、私は様々な動作をするように言われた。

 

動作といっても、そもそも手術直後で身体の自由が利かない中で行う動作確認だ。

 

何をやるのも「痛たたた」になるし、口から胃に管が入っているからしゃべるのも上手くできない。

 

彼は私の動作の左右差を確認していた。

 

 

そして、最後にこういった。

 

「胸郭出口症候群で間違いないでしょう」

 

 

なんのことか?解らないわたしは聞いた、

 

するとこういう説明だった。

 

 

私の右側に脳から伸びる神経が、肋骨と鎖骨の間を抜け、脇の下を通って腕に通っているという。

 

そして、恐らく手術中に 首から脇の下に抜ける神経が圧迫され、血流が十分ではなかったため、今のように腕がすぐに動かない状態になったと推測される、そう説明を受けた。

 

 

利き腕の右腕。

 

それが、自由に動かせない、、

 

次に私は、これは治るのか?どれくらいの時間で元に戻るのか?それを聞いた。

 

 

すると、、

 

彼はものすごい難しい顔をして、言葉を選びながら答えた。

 

 

「今よりは改善すると思いますが、どこまで改善するかは、現時点では解りません。どれくらいの時間が必要かもわかりません。日常生活に支障がない程度まで改善できるように、一緒にがんばりましょう」

 

そんな内容だった。

 

 

どこにも楽観的な言葉は無い。

 

慎重な物言いは彼の性格かもしれないが、

 

そもそもこの病気の性格なのかもしれない。

 

だとしたら、希望が少ない。

 

つまり不可逆的で、悪化したものが完全に元に戻ることは無いという意味なのではないか??

 

私は、最悪の気持ちになった。

 

 

なんでこう、私には悪いことが続くのだろうか?

 

手術をして、がんは無くなっていたら、のこるは間質性肺炎の治療に専念すればいい、そう考えていたのに、ここにきて3つ目の病気、胸郭出口症候群迄発症した。

 

もちろん、がんとか、間質性肺炎のように命を脅かすものではないかもしれないけど、、

 

でも、またいつもの決め台詞「普通の生活ができるように目指しましょう」が出てきた。

 

がんになってから、いつもこればかりだ。

 

つまり、どんどん「普通の生活」が出来ない方向に向かっている。

 

自分の運命が悔しくて仕方がなかった。