❏❏❏ 回顧録:2007年8月8日 東京・慈恵医大病院
ステロイド療法33日目
がん2度目の手術(後腹膜リンパ節郭清手術)の日。
あれから、どれくらい時間が経ったのだろう?
私が、オペ室の隣部屋で一時的に目が覚め、再び気絶してしまってからだ。
胃から戻った液体状の何かが喉をふさぎ、しかし、私は動くこともできず、このまま窒息して死んでしまうのかもしれないと思っていた時、
医療機器からけたたましい音がして、
たしか、キュウキュウキュウキュウという音だ。
看護師が私の異変に気付き、口と喉に詰まったものを吸い出し、その時点で私は記憶がなくなった。
次に気が付いたときは、比較的落ち着いた部屋にいた。
今回も、看護師が鼻の近くに刺激臭の薬品がしみ込んだ脱脂綿を近づけた。
眠ってしまっている私を起こすためだ。
眼はぼやけていた。
焦点が合わないからだ。
1~2分経っただろうか?
今度は、男の医師が立っていた。
ここは、後で解るが、ICU(=集中治療室)の中だった。
男性医師は言った。
「大久保さん、私の声が聞こえますか?聞こえたら、左手を上げてください」
私は、医療ベッドに寝たまま、
左腕を折り曲げ、ひじから下をベッドに垂直にした。
口の中にいくつも管が入っていてなかなかしゃべられないのだ。
しかも、身体のいたるところがいう事を聞かない。
直ぐには反応できないのだ。
首を左に曲げるのだって、できない。
次に医師が言った。
「じゃあ、今度は、右手を上げてみましょう」
・・・・
えっ??
右の腕が、上がらない。
だらんとベッドの上で伸びたままの腕が、右腕は、ひじを曲げて手を上げられない。
やっとの思いで、口を開いた。
「う・で・が・・・あ・が・り・ま・せん」
その瞬間若い男性医師の顔が曇った。
「大久保さん、そんなはずありません。右腕を上げてください!」
私は色々試した。
だが、何も起こらない。
もう、泣きたい思いだった。
自分の右腕を曲げられない。
これじゃあ、生活に支障をきたす。
楽しみにしていた「いつか、マラソンに復帰する」も絶望的になる。
「上がらないんですね」
医師は、すぐにその場を離れ、やがて、年配の医師と戻ってきた。
しかし、同じことだ。
腕を曲げられない。
今度は、医師が3~4人、やってきて、私の周りを医者が囲んだ。
「大久保さん、どうやっても腕が曲がらないんですか?」
そうしたら、ゆっくりゆっくり、右腕が持ち上がった。
5cmほどだったろうか、、
年配の医師が言った。
「よかった。まだ、神経は通じているみたいだ」
集まってきた男性医師達は、私の右腕の神経が、オペ中に切れてしまったのではないかと考えていたようだ。
お医者さん達は、ホッとしているが、それ以上に、私のほうがホッとした。
※ あとで医師から聞いた話だが、手術中、私という患者は、手術台のうえで、キリストが十字架にはりつけになったように、腕を左右に広げた姿勢で横たわっていた。
うでを、左右に広げて、私の身体のすぐ横に医師がはさむように囲むことで、切開したお腹迄の距離を短くする。そうして手術作業の効率を良くする。それが15時間行われていた。
ただ、そうなると腕への血流が悪くなる。
長い時間血流が悪くなることで、神経にまで血液・酸素が行きわたらなくなると、その神経は死んでしまう。
それが私に起こったのではないかと想像したそうだ。
まだ、神経は繋がっている。。。
それは嬉しいことだが、利き腕の右側がなかなか上がらないのでは、マラソンはおろか、普通の生活だって出来にくくなる。
私は、真っ暗な気持ちで医療ベッドの上に横たわっていた。