❏❏❏ 回顧録:2007年8月8日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法33日目

 

がん2度目の手術(後腹膜リンパ節郭清手術)の日。

 

※        この日については、後日、主治医と家族から聞き取った内容を基に書いている。予定では8時間ほどの手術であるが、手術が無事に終わったと連絡がない妻は不安に感じていた。

 

夕方の時間を過ぎていた。

 

看護師が、ラウンジにいる妻に伝えた。

 

「先生からお話があるので、病室に戻っていてください」

 

これを聞いた妻は、とっさに「悪い知らせだ」そう感じた。

 

そして隣にいた義兄に泣きついたという。

 

予定の手術時間を過ぎて、まだ、私は病室に戻ってきていない。

 

単なる「終わりました」連絡だけであれば、看護師に伝言でいいはずだ。

 

それが、医師から直接、伝えるわけだから、医者でなくてはならない理由がある。

 

妻と親戚が部屋で待っていると、若い先生がやってきた。

 

病棟担当のお医者さんでこれまでも何度も話した研修医だ。

 

彼は、オペ室で手術をしているわけではない。

 

その彼が言うには、

 

「ご主人の後腹膜リンパ節郭清手術の準備はまだ続いています。かなり、癒着が厳しく、それを丁寧にはぎ取る作業に時間がかかっています。間もなく終わりますので、そうしたら、後腹膜リンパ節郭清手術を開始します」

 

そういう内容だった。

 

よく解らない妻は、いま手術しているんじゃないですか?

 

そう言う類の質問をした。

 

難しい顔をした研修医は「厳密には、まだ、手術の前段階で、実際のリンパ節郭清はこれからです」と答えた。

 

8時間も経っているのに、まだ、手術が開始されていない??

 

妻は「夫が死んだ」とか、「命が危ない状況」といった報告ではなくてホッとした。

 

しかし、8時間も経ってまだ手術が開始されていないことに不安を感じた。

 

後日、私が担当医から聞いた話ではこうだ。

 

人間のお腹の中には、さまざまな臓器がある。

 

消化器で言うと、胃、小腸、大腸といった、一連の長い管がお腹の中で、くねくねとしている。

 

それを私は理解しているが、知らなかったのは、その管が、ある程度固定されているという事だ。

 

つまり、ホースを箱の中に入れたのとは訳が違い、

 

胃、小腸、大腸の一連の消化管は、お互いが、或いはお腹の中で、ある程度、くっついていて自由にゴロゴロ動き回れないようになっている。

 

よく考えたら納得いく話だ。

 

くっついていないと、ひとが身体をよじったり、運動したりするたびに、お腹の中で消化管が位置を変えてしまい、或いは、左右に揺れたり、ゴロゴロして大変だ。

 

そして、私は、生まれて9ヵ月の頃に、腸重積を患い、お腹を一度切っている。

 

そういった、過去にオペの経験があると、例えば、小腸同士、大腸同士、色んな箇所で、くっつく(=癒着する)ことがあるそうだ。

 

そうなると、まず、お医者さんがやらなくてはならないのは、

 

そのくっついたところを丁寧にはがして、

 

※間違って、小腸とか、大腸とかに傷をつけたら大変だから、メスなどを使って丁寧にはがす。

 

はがしが終わったら、それを医療用のビニール袋に入れて、私の脇に置く。

 

そしてすっぽりと中身がなくなったお腹の中には脂肪層(=内臓脂肪)があり、そこに、様々な血管やら、臓器がまた埋め込まれている。

 

埋め込まれているものの一つに「リンパ節」というリンパ液の溜池があり、

 

それががんに侵されているから、すべてはぎ取るのが「リンパ節郭清」だ。

 

おおよそ50ほどある。

 

癒着はがしに8時間を要して、これからようやく「リンパ節の剥ぎ取り」手術が行われるというのだった。

 

患者を仮死状態にして、長い時間がかかると、よくない。

 

筋力が失われるし、さまざまな臓器の機能が、元に戻るまでに時間を要することになる。

 

手術は成功したけど、社会復帰出来ない身体になってしまっては大変だ。

 

もともこもない。

 

3人のお医者さん達は、食事もとらず、トイレにも行かず、

 

ずっと立ちきっりでこの手術を頑張っていた。

 

そして、15時間が経ったとき。

 

リンパ節郭清術は終わった。

 

この年、慈恵医大病院で、最も長くかかったオペだった。

 

あして、私のお腹を閉じる手術は、別の医師達が担当した。

 

3人のお医者さん達は疲れ果てて、これ以上の集中力が持たなかったからだ。