❏❏❏ 回顧録:2007年8月8日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法33日目

 

がん2度目の手術(後腹膜リンパ節郭清手術)の日。

 

※思えば、16年前の今日、私はこの手術を受けていた。あの日も今日と同じく暑い夏の日だった。

 

 

妻は、朝7時半過ぎに病室にやってきた。

 

私が浣腸を自分でやって上手くできなかったことを笑っていた。

 

「そんなの慣れている看護師さんに任せればよかったのに」そう笑っていた。

 

子供たちは、親戚の家に預かってもらっている。

 

長い一日になるからだ。

 

 

両親が長野県の実家から向かっていた。

 

手術が始まる前に私と会わないようにしたみたいだ。

 

がんになってから、両親とはギクシャクした。

 

過剰に心配する両親に疲れ果てていた私は、冷たい言葉をかけてしまった。

 

申し訳なかったと思うが、ここまで私は自分のことに精いっぱいで、心配する両親の気持ちにまで手が回らなかった。

 

ある日「親よりも早く逝かないでおくれよ」などと言われ、

 

「くだらないこと言うなよ!」と本気で怒った。

 

 

死を意識しないように、私ががんばっているのに両親からそんなことを言われ、混乱した。

 

そんなやり取りが何度もあった。

 

だから、ある時からあえて話すのを止めていた。

 

 

考えても仕方がないことを心配して、いろいろ気持ちを病むのがいやだった。

 

 

そして、朝8時15分。

 

予定通り看護師が来た。

 

「大久保さん行きましょう」

 

私は移動式ベッドの上に横になり、看護師が2人、前と後ろについてベッドを移動させた。

 

妻は移動式ベッドについて歩いている。

 

ベッドにある点滴棒に点滴がぶる下がり私の腕へ輸液を流している。

 

尿道からは管が出てベッドの下にあるパックに繋がっている。

 

移動式ベッドが、ナースステーションを横切った。

 

中にいた看護師たちが声をかけてくれる。

 

「大久保さん、絶対大丈夫だからね」

 

「がんばってきてね。みんなで待ってるからね!」

 

ありがたい言葉ばかりだった。

 

 

ベッドは、中央棟の荷物専用の大型エレベーターに入り、3回の手術フロアまで一気に下った。

 

そして、手術フロアの扉が開いた。

 

横についていた妻に「がんばってくる」そう言ったのを覚えている。

 

中に入ると、自動ドアが2,3回開いたり閉まったりした。

 

奥に入ったのがよく解る。

 

 

すると、全身青色の防御服みたいなのを着た手術室専用の看護師が、何か書類の束みたいのをめくっていた。

 

後ろにはプラスチックの台紙があって書類を上部ではさむものだ。

 

「お名前と生年月日を言ってください」

 

私は、はっきりと伝えた。

 

 

かつて他の病院で、患者を取り間違えて外科手術をしてしまったなんて事故があったことを思いだし怖くなり、自分であることをはっきり伝えた。

 

看護師は、私の左手首についている腕輪のような患者識別の情報を確認した。

 

 

そして、更に進む。

 

まるで港の倉庫街のように、No.1, No,2、No.3、No.4、、、、、、No.20くらいまであったと思う。

 

手術室がホテルの客室のように並んでいて、ベッドは私の手術室に運ばれた。

 

中はかなり薄暗かった気がする。

 

部屋には何人もの人が動いていた。

 

みんな上下青色の防御服のような格好をしている。

 

誰が誰だか?解らない。

 

色んな電子音が鳴っていた。

 

ピコッ、ピコッ、ピコッ、

 

ピッ、ピッ、ピッ、

 

患者の身体の状態を計る機器から出る音だ。

 

私は、手術台に移動させられた。

 

いつもの空飛ぶ円盤のような丸形のライトがその時つけられた。

 

ピカー、

 

身体が熱くなるようなほど、熱を放って光っている。

 

私は、ホック式の患者着をはぎ取られた。

 

全裸で恥ずかしい。

 

でも、こんな感じの手術を、すでに2回乗り越えてきた。

 

やがて、一人の大きな男の人が近づいてきた。

 

顔を確認すると、前日会った麻酔科の医師だった。

 

「大久保さん、今から麻酔を打っていきます。良いですか?」

 

そう聞かれ、コクリとうなずいた。

 

「では、膝を折り曲げて、背中が私のほうを向くようにしてください」

 

手術台の上で寝ている私は壁を向くように横になり、膝を折り曲げた。

 

両腕で膝を抱えたと思う。

 

 

麻酔科の医師は、ビニル手袋をはめた手で、私の背骨を触っている。

 

そして、背中全体を消毒綿で拭きだした。

 

なんだか急に背中がヒヤーと冷たくなった。

 

 

そして彼は、指で私の一番下の背骨から数えてすぐのところに指を置いた。

 

「では、針を打ちますよ。絶対に動かないでくださいね」

 

コクリとうなずくしかできなかった。

 

その瞬間、腰のあたりに激痛が走った。

 

 

ウッギャー、本当ならそう声を出したかったが出せない。

 

 

今日の針は、今までとは比べようもないほど太い針だ。

 

私には見えていないが、刺さった感覚でわかる。

 

背骨の間に太い針を打つ、恐ろしい感じがした。

 

 

そして、ベタベタとセロテープみたいなものを背中に貼っている。

 

「つぎ、このあたり行きます。動かないでください」

 

ウッギャー、顔が引きつる

 

さっきより、指1本上くらいのところに同じ針を刺された感じだ。

 

ぶるぶると、全身が震えだした。

 

 

「大久保さん、がんばりますよ!」

 

麻酔科の医師はそういう。

 

私は何もしゃべれず、ただ壁に向かって小刻みにうなずいた。

 

 

 

「次、ここいきます」

 

3本目の針が背骨に刺さった。

 

背中を大きなテープのようなもので、ベトベト貼っている。

 

 

きっと背骨の針からはビニルチューブがついていて麻酔液のシリンダーにつながっている。

 

背中が管だらけだから、ビニルテープを張っているのだろうか?

 

私は顔が脂汗でべとべとだ。

 

「大久保さん、次いきますよ」

 

・・・・・・・・・

 

 

それが、最後の言葉だった。

 

そこからはまったく記憶がない。

 

私は完全に意識を失ったのだろう。

 

何も覚えていない、、