❏❏❏ 回顧録:2007年8月6日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法31日目

 

この日は、長い一日だった。

 

夕方、私の部屋に泌尿器科の木村先生が来た。

 

先日のCT検査の結果を伝えるためだった。

 

CTとは、コンピューター・トモグラフィの略で、解りやすく言うと、人体を輪切りにして撮影するレントゲンだ。

 

 

私は、この年この日までに、CTの検査を8回も受けていた。

 

CT検査の場合、通常の胸部レントゲンよりも放射線による被ばく量が多い。

 

もちろん、放射線治療よりは格段に少ないのだが、放射線を身体に当てることは、それだけでリスクだ。

 

それを8回も受けていた。

 

しかし、がんにより刻一刻と変わっていく私の身体の中の情報を知るには、この検査を避けて通れない。

 

木村先生は、そのCT画像検査の結果から、私の腹部にあったリンパ節の腫れが、2カ所、一段と小さくなっているという。

 

この2ヵ月弱、何も治療を受けていないのに、これは良い情報だ。

 

しかし「小さくなっているから、予定している手術は見送りにしましょう」とはならないのが、この世界の限界なのかもしれない。

 

明後日の手術に向けて、改めて質問はありますか?と聞かれた。

 

仕方がないけど、覚悟を決めた私は特にないと返した。

 

その後は、何でもない話をたくさんした。

 

 

木村先生が、留学していた頃の話し、私が外資系証券会社で目の回るような忙しさで働いている話、、

 

夜8時を過ぎてたころ、彼は部屋を出ていった。

 

大学病院の医者たちは、恐ろしいほど長時間労働をしている。

 

外来での診察、入院病棟での診察、医学生たちへの授業、論文書き、患者・家族への説明、カンファレンスと言う医者たちの会議、当直、、、

 

自分が落ちつく時間は、殆どない感じだ。

 

会社だと、自分の席があり、自分のパソコンがあり、自分のスケジュールで仕事をこなせる。

 

しかし、彼らは急患だと言われると、いま取り掛かっている仕事を一旦脇に寄せて対応に当たる。

 

 

長時間労働、ハイプレッシャー、その点は外資系証券と似ているなあと感じた。

 

夜9時、看護師が部屋に来て電気を消した。

 

毎日のことで、消灯の時間になると電気を消される。

 

1日の終わりだ。

 

私は、6人部屋にもいたことがある。

 

個室も、相部屋も、すべて9時に消灯。

 

でも、そんな時間に寝れるわけがない。

 

だから真っ暗な部屋で、医療ベッドの上になり、自分と向き合っていた。

 

いまなら、スマホで寝るまでの間、ゲームしたり、動画見たりすることもできるのかもしれない。

 

でも、当時はそんなものは無かった。

 

だから、何をしていたかと言うと、自分のこれまでのことを思い出していた。

 

高校時代のこと、浪人していた頃のこと、大学生になった自分、そして社会人1年目、

 

たった42年間の人生だけど、色々あったと思い返す。

 

昨日まで思い返した続きを、今日は思い返す。

 

こんなこと、がんで入院しなければ、やらなかった。

 

もしかして、残りの人生がわかった人って昔のことを思い出すのかな?そんな想いにもなる。

 

明日は手術前日で準備態勢に入る。

 

寝心地の悪い医療ベッドの上で寝に入った。