❏❏❏ 回顧録:2007年8月6日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法30日目

 

スーツケースの中身をすべて出し、本棚、トイレ、洗面所、医療ベッドの脇、小テーブルに配置していった。

 

やがて看護師が部屋にやってきた。

 

彼女ともすでに顔見知りの中だ。

 

私の顔つきが、いつも以上に険しいのを察知したようだ。

 

挨拶なしで、今日の予定を話し出した。

 

まず、午前中に胸部レントゲンと、腹部のレントゲン撮影のために下の階に検査に行く。

 

その後、心電図、採血、もろもろの検査を行う。

 

私と言う患者が、明後日の長時間オペに耐えうる身体であることを確認するためだ。

 

 

そして、午後になると3人の医師が部屋に来て話すという。

 

 

泌尿器科の木村先生、呼吸器内科の皆川先生、そして、麻酔科の医師。

 

これまで、麻酔科の医師と話したことは無かった。

 

なぜなら、診療科の医師が麻酔を施して、いわゆる、部分麻酔で、私には意識がある状態で手術が行われた。

 

2月の骨折のときも、3月のがんの切除手術のときも、麻酔科の医師ではなかった。

 

なぜ、専門の医師が今回は加わるのか?

 

午後に、彼と話して、その理由が解る。

 

 

これまで私が受けてきた5~6時間の手術では、腰椎麻酔(ようついますい)と言うもので、

 

背骨=脊椎の下のほうに麻酔を刺し、腰から下の感覚がなくなるものだ。

 

その時は私は意識がある。

 

3月のがん手術も、電気メスで私の鼠径部(そけいぶ)を切る瞬間を覚えている。

 

もちろん、見てはいないが、何とも嫌な臭いがしてきて、看護師に聞いた。

 

「この変な臭いは、何ですか?」

 

その時の返事は、

 

「電気メスです」そう返された。

 

 

つまり、電気メスで、私という人間を焼き切っている匂いだった。

 

魚を焼くようなにおいではないし、焼き鳥でもない。

 

形容しがたい生臭いく、人体が燃えている匂いだった。

 

だから、腰椎麻酔のときは、患者は寝ておらず起きて記憶がある。

 

ただ、あの時は「寝たいですか?」とも聞かれた。

 

つまり、腰椎麻酔では意識はあるが、寝たければ、睡眠剤を入れて手術できるという事だ。

 

 

しかし、今回の手術は、いあゆる「全身麻酔」だ。

 

これは、睡眠剤を導入するものとは、全く違う。

 

この違いを多くの患者は知らないが、睡眠剤を導入する場合は、人が寝ている状態に近い。

 

寝て手術をしたから全身麻酔だった、と勘違いしている患者がいるが、それは、もしかしたら睡眠導入剤で寝ていただけかもしれない。

 

 

一方の「全身麻酔」は、限りなく「仮死状態」に近い。

 

いや、「死」に近いような印象だ。

 

なぜなら、自分で呼吸すらできないような限界状態まで落としてしまうのだから。

 

 

だから、人工呼吸器を口から気管支まで入れて、ポンプで、プシュー、プシューを空気を肺に入れ込み、命を繋ぐのだ。

 

人が夜に寝るときは、寝ていても呼吸はしている。

 

だけど仮死状態だと、自ら呼吸すらできない。

 

危険な状態だ。

 

そういった状態で治療を行うには、専門の麻酔科医が必要だ。

 

 

彼は、手術の時間の間、ずっと張り付いて、私の脊椎に麻酔薬を絶えず入れ続ける。

 

少なければ、患者は痛みを感じ、手術に支障がある。

 

一方、多すぎたら、それこそ死んでしまう。

 

 

心電図、血圧計、脈拍、様々なデータを見ながら、患者の状態を把握しながら、麻酔科医は、麻酔を送り続ける。

 

その彼との面談が、午後に予定されていた。