❏❏❏ 回顧録:2007年8月6日 東京・慈恵医大病院
ステロイド療法30日目
朝起きて、着替えた。
私は、いつの頃からかパン食なので、用意していたブドウパンを2枚トースターに入れた。
そして、牛乳とヨーグルト。
もくもくと食べた。
妻も早めに起きて、子供たちの朝食づくり、洗濯と家事をこなしていた。
私は口数が少ない。
テレビのニュースを見ていると、がんの特集になった。
とっさにテレビを消す。
がんのテレビとが、映画とか、大嫌いだった。
大抵、主人公はつらい、きびしい、そんな風に描かれていて、結論は、ハッピーエンドとは言えない感じがした。
なんか、こう、すかーっと、結論は、金メダルとか、1位で優勝とか、きらびやかな、そんなストーリーを求めているのだが、なぜだ。
がんは必ず、じめっとしたストーリーばかりだ。
それが嫌で、がん特集は嫌いだった。
小1と小3の子どもたちは夏休み中。
今回の私の入院中は、妻の実家にお世話になることになっていた。
今回の後腹膜リンパ節郭清手術とその入院期間中、妻は私にフルサポートすることになるので、子供たちを実家に預けることにしていた。
食事がすむと、妻と一緒に駐車場に行った。
大きなスーツケースが2つ、ビジネスカバンに、大きな紙袋3つ。
大荷物だ。
それを自宅のバンに乗せ、妻の運転する車で慈恵医大病院に向かった。
暑かった。
この日も、朝から真夏の暑さで、それだけで疲れてしまう。
病院に着くと、私は、中央党の1階にある入院手続きカウンターで手続きをした。
事務の人は、毎回同じ説明をする。
恐らく彼女だって、私の顔を覚えているし「また、この患者さん入院なんだ、、」と思っているに違いない。
だけど、病院でそんな会話はご法度だ。
今回も17回の泌尿器科のフロアで、部屋番号は1708号室。
どの部屋かすぐわかる。
だって、ほとんど毎日、この病院の入院病棟で過ごしてきたのだから。
エレベーターに乗った。
入院病棟のエレベーターには、座れる場所がある。
体調の良くない人間たちが頻繁に利用するから、そんなつくりになっている。
17階につくと、まず、ナースステーションが待ち受ける。
その左隅に、事務の金澤さんがいて、私と目が合った。
妻も会釈する。
彼女はベテランだから、余計な会話はしない。
以前、看護学校の学生が研修で来ていて、私が4度目の入院、間質性閉演の入院をしたとき、
「あー、大久保さん、また会えた、嬉しい~」といった。
そのあと、先輩の看護師にこっぴどく叱られていたのを見た。
当然だ。
どこの世界に、また、入院病棟で会えてうれしいと思う患者がいるもんか。
こんなところ、できることならば、2度と来たくないのだから。
ベテランの金澤さんは、鍵を渡して「お部屋、案内しますか?」と簡単に聞いた。
「いや。必要ないです。ありがとうございます」それだけ言って、自分の個室に入った。
妻と二人。
スーツケースから、衣類、タオル、下着、歯磨き粉に歯ブラシ、コップ、石鹸とどんどん出して、いつものように置いた。
運命の5度目の入院が始まっていた。