❏❏❏ 回顧録:2007年7月29日 長野県

 

ステロイド療法22日目

 

家族での軽井沢旅行(2泊3日)最終日。

 

滞在していたホテルは、別荘地の中にあるホテルだ。

 

バブル期に日本の企業はこぞって軽井沢に保養所を建てた。

 

一流企業のステータスシンボルみたいなものだった時期がある。

 

しかし、その後、バブルがはじけて多くの企業が資産の圧縮を迫られ、保養所の売却が進んだ。

 

 

私が軽井沢に興味を持ちだした2005年は、まさに売却のピークの頃で、いたるところに「売り物件」と書かれた立札があり、価格も大暴落の一途だった。

 

そんなとき、地元の人が保養所を買い取り、別荘地の中にあるホテルとして開業したそうだ。

 

私は、そのホテルが好きで、家族で時々っていた。

 

 

2月の骨折した時は、真冬なので、お客さんが一人もいなくて、コックさんも私たちだけのために食事を作ってくれた。

 

頻繁に来ていたので、ホテルのオーナーたちとは近しい仲だった。

 

 

しかし、2月のあの日、骨折して救急で東京に戻り心配していたという。

 

 

その後、「がん」が発症していたため、骨折治療中だが、がんの治療に入る、そう連絡すると、ホテルの人たちは驚いていた。

 

 

あの時は、骨折の後、なかなかホテルに来てくれないのは、なぜだろう?と思われると思って、説明したのだが、みんな、どう返していいか?解らないほど困惑していた。

 

そのがん患者の私が、5ヵ月後にやってくるというので、戸惑ったという。

 

 

なんて、声をかけたらいいのかと思ったと言っていた。

 

「思っていたよりも元気そうで安心した」

 

そんな言葉は嫌われる。

 

 

だって、がん治療中の患者なのだから、元気そうと言うのは変だ。

 

だから、「顔を見て安心した」そんな言いかただったが、実際どうなのだろうか、、

 

髪の毛は無いし、

 

眉毛も無い、

 

青白い顔色をして、

 

明らかに、人相が変わってしまっているのだから。

 

 

3日間の滞在を終え、家族でお礼を言ってホテルを後にした。

 

忙しい時期なのに、玄関までホテルの人みんなが見送ってくれて、8日後の手術が上手く行くと信じている、そう言っていた。

 

それまで、手術が上手く行かないなんて思ってもいなかったが、「そういうこともあるのかもしれないな、、」そんな想いになり、こわばった。

 

 

5回目の入院、長時間の後腹膜リンパ節郭清手術まで、8日と迫っていた。