❏❏❏ 回顧録:2007年7月27日 長野県

 

ステロイド療法23日目

 

朝、軽井沢のホテルで目が覚めた。

 

隣には、9歳の娘と6歳の息子が寝ている。

 

そして、その奥に妻が寝ている。

 

思い起こせば、5ヵ月前も、ここ軽井沢に来ていた。

 

あの時は、まだ冬の2月で周囲は雪だらけ。

 

観光客はほとんどいなくて、ホテルを我家が独占しているような感じだった。

 

そんな真冬の寒い日の朝、家族を起こさないようにジョギングに出かけ、

 

アイスバーンのように凍った急坂の路面で左足を滑られ、右足で着地して、骨折した。

 

大けがだった。

 

 

軽井沢の病院で診てもらったが、東京の大きな病院で処置してもらったほうが良いと言われ、

 

大急ぎで慈恵医大病院にかけこみ、救急で入院した。

 

その骨折入院中に、精巣がんが見つかった。

 

 

既に進行していて、最終ステージのがん患者になった。

 

5カ月経って、まだ生きているし、治療を控えている。

 

 

そんな私が、また、家族で、ここ軽井沢に戻ってきた。

 

なんとも不思議な感じがしていた。

 

 

私はいま運転ができない。

 

運転する体力も無いのだ。

 

 

子供たちと遊べない。

 

だから、妻が運転する車の中で横に座り、公園に行くと、ベンチで子供達と妻が遊んでいるのを眺めている。

 

 

でも、それがとても幸せだった。

 

子供たちは、また木工細工をしたいといって、例のNPO法人のところに行き、工作をし始めた。

 

息子はスポーツカー、娘は森の家を作っていた。

 

その光景を眺めている私。

 

 

息苦しかった。

 

肺が、重く浅い、ゼーゼーと鳴っている。

 

9日後に入院して手術を受けるが、引き続き、合成副腎皮質ホルモンを服用して行うという。

 

つまり、免疫力を下げる治療を受けながら、危険な開腹手術が行われる。

 

考えるだけで怖かった。

 

5回目の入院が9日後に迫っていた。