❏❏❏ 回顧録:2007年7月5日 東京・慈恵医大病院

 

朝9時半、妻の運転する車で家を出て、10時頃に病院に到着した。

 

この年、4回目の入院である。

 

中央棟の17階、泌尿器科の病棟だった。

 

受付の人も、病室の並びも、ナースステーションの看護師たちも、すべて知っている4回目の入院だ。

 

体調で一番良くないのは、喉元にあるつっかえた感じ。

 

まるでゴルフボールがのどに詰まっている、そんな不快感だ。

 

体調の悪さレベルを表す数値で、10と記している。

 

ただ、精神的には元気だった。

 

いまある症状が、治療によって改善すると信じていた。

 

午後、看護師に呼ばれ、検査フロアに行った。

 

まず、胸部レントゲン。

 

いつも通りの検査だった。

 

そして、採血。

 

淡々と検査が進んでいった。

 

夕方、外来での診察を終えた皆川先生が私の病室にやってきた。

 

「大久保さん、胸のレントゲン画像を見たのですが、前回と比べて変化がありませんでした。だから、明日から治療を開始します」

 

そう言った。

 

この時は、皆川先生が、何を言ってるのかよく解らなかった。

 

てっきり、悪化しているから治療をする、という事だと思っていた。

 

振り返って考えると、皆川先生は、この時点でも「自然治癒」による改善を期待していた。

 

呼吸器内科の病気はデリケートだ。

 

どんどん悪化することもあるが、何も治療をしていないのに、自然に改善していく場合もある。

 

もし出来る事ならば、人の身体の自然に治す力で治したい。

 

薬はなるべく使いたくないのだ。

 

特に、プレドニンは。

 

この夜、一人、病室で考えた。

 

間質性肺炎、肺線維症、これらの病気は、がんと違い、あまりにも情報が少ない病気だ。

 

解らないことだらけだけど、焦らず、なるべく早く治そう。

 

そうしないと、がんの手術がいつまでも受けられない。

 

冷静になれ自分、そんなことを一人でつぶやきながら寝た。