❏❏❏ 回顧録:2007年6月27日 千葉県柏市・がんセンター東病院
朝、妻と一緒に千葉県の国立がんセンター東病院に向かった。
3つめのセカンドオピニオンを聞きに行くためだ。
これで3施設目(=病院)だ。
俺らしいと思う。
5yearsに登録されている患者さんが、オピニオンを受ける病院は、大抵1つだ。
なのに、俺は5つも予定してある。
つくばエクスプレスに乗り、駅からバスに乗り、、、なんて遠いところにある病院なんだと感じた。
元気な時なら、そんなに気にしないかもしれないが、がんで体調が悪いときは、電車とバスを乗り継いでなんて、疲れてしまうと思った。
ここは、2日前にあの親分肌の先生がいた病院と同系統の国立がんセンターだ。
自然と緊張していた。
受付に申し出ると、泌尿器科の待合室に行くよう言われた。
そこで、また、泌尿器科の受付に申し出ると、アナウンスがあるまで待つように指示された。
いつもの大型病院と同じ対応だ。
ただ、この病院は広い、そう感じた。
敷地が大きいから、建物のスペースもゆったりとしている感じがする。
いや、、もしかしたら東京の病院が狭いだけなのかもしれない。
1時間待った。
未だ呼ばれない。
妻と私は、予約しているのに何でこんなに待つのだろうと、、不満をこぼした。
2時間が経った。
しかし、まだ呼ばれない。
泌尿器科の待合室には、殆ど患者がいなくなっている。
2時間半がたった。
誰もいなくなったその時、「大久保さん、〇〇番の診察室にどうぞ」そうアナウンスが流れた。
妻と一緒に診察室に入ると、50代くらいのやせ型で、メガネのお医者さんが背筋を伸ばして座っていた。
白衣を着て、下にはネクタイとワイシャツ。
まるでビジネスマンが白衣を着ているような人で「おかけください」という話し方は物静かだ。
2日前の親分肌先生とは大違いだった。
彼は、紹介状の封をハサミで開け、ふむふむと読む。
そのあと、私が持参したCTの画像写真を投影機に移し、また、ふむふむ。
「では、オピニオンをお伝えします」
そういって、ノートに書きだした。
万年筆を使って書くあたり、お洒落というか、気取っている。
第一選択は「RPLND」、これは、「手術。後腹膜リンパ節郭清」を意味する。
RPLNDは、retroperitoneal lymph node dissection の略だが、そんなことは一、ふつう患者が解るわけがない。
私はたまたま海外の論文を読んでいたので解ったが、なんで「手術」と書かずに、「RPLND」なんて書くんだ!と思った。
そして、第二選択は、「Chemo」と書く。
Chemo は、Chemotherapy(ケモセラピー)の略で、日本語で言うと「化学療法」だ。
つまり、抗がん剤治療。
これだって、「抗がん剤治療」と言えばいいのに、なんでわざわざ、医者にしか解らない英語略ばかり使うのか、、とげんなりした。
当然ながら、私の横にいる妻は、??何のことだか解っていない。
単調で抑揚のない話し方、まるで、評論家が話すかのように淡々と説明していく。
参ったなあ、そう思ったので、遮って
「先生、私なりに勉強しているので、ガイドラインがそうなっているのは知っています。一方、海外の報告書とか国内の論文も読んでいるので、今の私の状態では、最終的に後腹膜リンパ節郭清(=手術)をすべきかどうか、医師達の中でも、意見が二分していることも知っています」
かれは、話しを遮られたのが不満なのか?私の言ったことが生意気だったのか?眼だけ私のほうに向けた。
メガネの中の目は、温かくもなく、冷たくもない、そんな目だ。
ポーカーフェイスというか、つかみどころのないお医者さんだ。
私は気にせず続けた。
「ガイドラインでは、手術のあとの病理検査で、ヴァイアブル(=活動性)のがんが無ければ、治療終了で経過観察。ヴァイアブルながんがあれば、再び、抗がん剤治療継続となりますよね。そうなると、このRPLND(=手術)は、治療ではなく「検査」みたいなものじゃないですか?だって、活動性のがんを手術で取り除いたから、これで終わりとならないのですから。手術でとって活動性組織があるから抗がん剤治療というなら、生検みたいに思えます。一方、患者には大きな身体的負担と後遺症が残る。わたしには、生検みたいなのに、なぜ第1選択とするのかが納得いかないんですよ」
生意気な患者だと思う。
こんなことを初めて会うお医者さんにいう患者っているのだろうか?
だが、必死だった私は、ストレートに知りたいことを聞いた。
彼は、間髪おかず、こういった。
「これは、検査じゃないです。治療です。治療」
私が、「でも、、、」というと、かれは、話しを遮るように
「治療です。治療」そういう。
もうこれ以上、その議論はしたくないという感じだった。
お礼を言って診察室を出ると「妻がものすごい疲れた」と私に恨み節を言った。
私は、おきて破りのことを言ったのだろうか?
この手術を、検査みたいなものと言ったら、医者の世界の価値観をひっくり返すことになるのだろう。
あのオーラから、今日の評論家みたいな先生も、医療の限界を感じながらも、毎日、診療を行っているように想像した。
” 治療だと思わなければ、この手術はできないんだ!"
まるでそう言っているように感じた。
俺は、いったい何をしているのか?
まるで、踏み込んではいけない所まで踏み込んでいる気がした。
少し、自己嫌悪になった。
相変わらず、ケーン、ケーンという乾いた咳が出ていた。