❏❏❏ 回顧録:2007年6月15日 東京・慈恵医大病院

 

がん闘病を振り返ると、忘れられない日が何日かある。

 

嬉しくて忘れられない日。

辛くて忘れられない日。

悔しくて忘れられない日。

 

色々ある。

 

この日は忘れられない日の一日だった。

 

私は合計3クール、都合9週間以上の抗がん剤治療をやり終えていた。

 

そして、抗がん剤治療第3クールの最終日に、造影剤を入れてのCT画像検査を受けていた。

 

この日は、その画像検査結果を知らされる日で、

 

今後の治療方針を相談する日だった。

 

夕方6時過ぎ、私と妻、そして6歳と9歳の子供は、病室にいた。

 

子供たちはテレビを観ている。

 

部屋に看護師が入ってきて、今からカンファレンス室に来て欲しいという。

 

そこで、木村先生から、検査結果を聞くことになる。

 

この体験は既に3回目だ。

 

要領は解っているが、決して慣れない。

 

医師と真剣な話を会議室でするなんて、嫌でしょうがない。

 

いい話しだったら、会議室でなんかしないだろう。

 

妻と一緒に部屋に入ると、風にはCT 画像診断のレントゲンが所せましと張ってある。

 

私は、画像にある赤丸を直ぐに見つけた。

 

そして不機嫌になった。

 

先生も、私という患者が不機嫌な顔になったのはすぐにわかっただろう。

 

ただ、辛抱強い木村先生は、検査結果を淡々と説明してくれた。

 

そして、腹部に2カ所、約1cmと1.5cmの腫瘍の影が残っていると説明した。

 

それが赤鉛筆の赤丸だ。

 

今後の治療方針は、2度目の手術。

 

「後腹膜リンパ節郭清手術」だという。

 

お腹を縦に33cm切って、中の内臓を取り出す手術だ。

 

胃も、小腸も、大腸も取り出す。

 

私はその手術が怖くて嫌で、抗がん剤治療をがんばってきた。

 

しかし、抗がん剤では、がんの影が消えなかったというのだ。

 

だから、6月25日、私のために10日後の手術室を押さえてあるという。

 

私はもっと不機嫌になってしまった。

 

患者にとって、がん治療が終わらず、更に大きな治療が予定されるのは、残酷な話だ。