❏❏❏ 回顧録:2007年6月11日 東京・慈恵医大病院
第3クール21日目(Day-21)
この日、私は3人の先生たちに手紙を渡した。
是非、読んで欲しいと手書きで渡した。
内容は、3人ともすべて同じで、今日のCT画像検査の結果をフェアに評価して欲しいというものだ。
フェアという言いかたが生意気で良くないが、私は先生たちが2度目の手術を計画しているの知っていた。
だが、どうしても手術を受けたくない。
怖いし、何より、必要ないのではないかと感じていたからだ。
私は、当時、私の病気に関する医学論文を読んでいた。
海外の論文まで含めると20種類くらいあった。
アメリカのNCA(National Cancer Association)など権威のある組織は、なんと、ウェブサイトに論文が貼ってあり、自由にダウンロードできた。
2007年の時点でそんなことが、普通にできたのだ。
だから私は、海外の論文をダウンロードしては、必死で読んだ。
それを間近でみていた木村先生たちは、さぞかしやり難かったと思う。
そんな面倒くさい患者の私に、3人の先生たちは、真摯に向き合ってくれた。
当時の私の状況はこうだ。
腫瘍マーカー3種類は全て陰性化していた。
そして、CT画像上も、大方のリンパ節転移は、消失していた。
進行ステージは、最終ステージの「ステージ3B」。
※私の精巣がんに関しては、ステージが3までしかない。これは、各学会(例:乳がん学会、胃がん学会、肺がん学会等々)で独自に決めているのでそうなる。私の場合、泌尿器科学会で、精巣がんは3までにしか分類していないに過ぎない。
その状況の私という患者が、後に手術まで踏み切るかどうかは、医療界でも意見が割れていることを、私は論文で知っていた。
だから、フェアな判断をしてほしい、などと手紙を出したのだった。
保守的な医師達であれば、迷わず、オペだろうと思ったからだ。
手紙を渡して、私は、自宅に戻った。