❏❏❏ 回顧録:2007年5月30日 東京・慈恵医大病院

 

第3クール9日目(Day-9)

 

うなぎの蒲焼を食べた後、会社の人たちが病院に見舞いに来てくれた。

 

ひとりはアメリカ人の男性だ。

 

かれは、同じチームのトレーダーの人で、陽気なひとだ。

 

私にプレゼントだと言ってランス・アームストロングの黄色いリストバンドをくれた。

 

アームストロングは、プロの自転車乗りで、私と同じ精巣がんを経験した。

 

その後、奇跡のカムバックと称され、自転車レースの最高峰ツール・ド・フランスに復帰して、個人総合優勝を成し遂げる。

 

※その後、ドーピングが発覚して、輝かしい個人優勝ははく奪される。

 

当時の私にとっては、希望の星だった。

 

がんをしたら、人生下り坂だと信じていた私にとって、アームストロングの復活劇は常識を覆すものだった。

 

もちろん(後で解ったことだが)ドーピングをしたことは良くない。

 

しかし、がんをした人間が、プロのレースに復帰しただけで私は、凄いことだと思う。

 

当時、まさにマイヒーローだった。

 

その彼が運営する「ランスアームストロング・がん基金」に寄付をすると、黄色のゴムでできたリストバンドをくれる。

 

そのバンド100個を、トレーダーの彼は持ってきてくれて、「オクボサンもそうなれ!」と言っていた。

 

嬉しかった。

 

それ以来、私は手術の日もイエローバンドをしていたし、その後、6年間、毎日身に着けていた気がする。

 

実際、6年後にサロマ湖100㎞に復帰した写真には、そのリストバンドが映っている。

 

この日、私は、夕方に外出し、自宅でそのまま外泊した。

 

熱は37.7℃。

 

体調65点。

 

ランス・アームストロングの自伝を読みながら、自宅の布団で寝た。