❏❏❏ 回顧録:2007年5月17日 東京・自宅

 

第2クール17日目(Day-17)

 

朝8時、車で慈恵医大病院まで送ってもらい、例によって「ノイアップ」注射を打った後、外出した。

 

※   この「ノイアップ」は、現在販売中止になっている。理由がよくわからないのだが、独立行政法人 医薬品医療機器総合機構のレポートでは、一部の患者で血小板が減少したとある。私にはそのような副作用は起きなかったので、当時、毎日のように注射していた。

 

スタバで友人と会い、家族4人でホテルの中華を食べた。

 

そして、品川駅のパン屋さんに行き、夕方、近所のイタリアレストランの若い店長さんに、うちの子供たちが使ったおもちゃをプレゼントした。

 

アメリカに留学していた時のものが多かった。

 

日本では手に入らないから、彼からとても喜ばれた。

 

例えば、三輪バギー。

 

スポーツタイプのストローラー(乳母車?)で、私はマラソン練習の時、2歳の娘を乗せて、後ろから押して走った。

 

当時、そんなことをする人は中々見かけず、皇居で目立ったが、私には貴重なバギーだった。

 

そして、アルミパイプでできたリュックサック型の子供背負い。

 

まるで、二宮金次郎が薪を背中に背負っているあれと同じようなもので、アルミパイプでできている。

 

アメリカでは、子供を背負ってハイキングするときに大人たちが使っていた。

 

そんな珍しいものばかりプレゼントしたので、痛く喜ばれた。

 

このころの私は、毎日、たくさん予定を入れていた。

 

暇になるのが嫌だったからだ。

 

がん患者は、暇になるとろくなことがない。

 

怖い将来を想像したり、残念な結果を考えたりと、ろくなことを考えない。

 

だから、思考に暇を作らせないように、予定をどんどん入れていた。

 

一方、手がむくみ、指に間接痛がでていた。

 

「なんだろう、、がんと関係あるのかな」

 

不安は尽きなかった。