❏❏❏ 回顧録:2007年5月10日 東京・慈恵医大病院

 

第2クール10日目(Day-10)

 

再び、外出・外泊が許可される生活に戻った。

 

よく考えれば変だ。

 

外出が許可制なんて、へんてこな世界に潜り込んだものだ。

 

私は、常々、入院生活は刑務所に入っているような生活だと形容してきた。

 

お医者さんとか看護師さんには申し訳ないが、当時の私はそんなように思えた。

 

なぜなら、腕に「バンドル」を付けられる。

 

オオクボジュンイチ、泌尿器科、中央棟、〇月○日入院

 

そんなことが書かれたビニール製のバンドで、入院した初日に看護師からつけられ。

 

何のために行うかというと、病院で患者は意識を失うことがある。

 

日常的に起こる。

 

それは手術が行われるからだ。

 

手術中、全身麻酔を受けている患者は意識がない。

 

だから、目の前に横たわっている全裸の患者が誰なのか?医療者が確認するのは、腕のバンドルだ。

 

幅広でバーコードなんかあったりする。

 

あと、マンモス病院では、患者にどの薬を投与するかどうか、間違えたりしないように、抗がん剤を点滴するときは、そのバンドル情報と照合して、投与することもある。

 

ただ、、

 

私には「手錠」のように感じた。

 

カチッとつけられた日から、

 

「これをはずして、退院できる日はくるのだろうか、、、」

 

そんなことすら思った。

 

そして、入院病とというところは、社会と寸断されている。

 

個々人に社会的な役目が無いのだ。

 

有る役目は唯一、「治療を受けること」

 

これでは、社会の一員として役立っている気持ちになれない。

 

そして、パジャマ姿で一日居て、外に出るのは許可制。

 

こうなると限りなく、刑務所みたいな気持ちになる。

 

私は当時まだ42歳、働き盛り。

 

だからこそ、窮屈な場所に閉じ込められたような気持ちになっていた。