❏❏❏ 回顧録:2007年5月5日 東京・慈恵医大病院
第2クール5日目(Day-5)
私は、夜9時過ぎ、消灯の時間にナースステーションに行き、点滴を外してほしいとお願いした。
讃岐先生の判断で、
「大久保さん、朝までに水3,000㏄を飲めるのであれば、点滴外しますよ」
そういわれ、約束した。
このときは、水分3リットルくらい何でもないと思った。
水だけでなく、お茶でもいいし、ポカリスエットでも何でもいいという。
マラソン練習の後は、平気でスポーツドリンクを2リットル一気飲みする私だ。
しかし、やってみるとこれができない。
水が、まるでコンクリートの塊のように、とても飲めたものではない。
なんだろう、こんな感覚あるのか?
もしかして、抗がん剤が体外に出されないように俺の体の中で抵抗しているのか?
ともかく、口から水が飲めない。
わずか、コップ一杯を飲むのに、2時間を要した。
当然、おしっこの頻度も減る。
それまでは30分に1回トイレに行き、おしっこと一緒に抗がん剤が体外に排出されていた。
しかし、おしっこが出ないから、薬はまだ体の中にある。
私はだんだん、焦りだす。
このまま、薬が身体に残っていると、マズイ。
焦ると、余計に水が飲めない。
夜12時を過ぎたころ、精神的に参ってしまった。
次の日になろうとする時間帯。
病棟は真っ暗でひっそりしている。
その廊下をとぼとぼと歩き、ラウンジに一人いた。
ナースステーションに戻ってきた看護師が、はっとして私を見つけてくれた。
「大久保さん、寝れないの?」
入院病棟でよく取り交わされる会話だ。
だが、私の寝られないは、具合が悪くてではなく、精神的に参ってしまって寝られない。
それを伝えると、そんな時間帯なのに、讃岐先生が戻ってきてくれた。
かれは、今日、当直だった。
我がままをお願いしたことを謝り、再び、私に点滴ルートが注射された。
患者は、弱いものだ。
病気の時は、先生とか看護師さんの「チカラ」を借りないと無力だ。
優しい讃岐先生は、呆れることもなく、よく頑張りましたね、、そんな感じのこと言ってくれた。