❏❏❏ 回顧録:2007年4月22日 東京・慈恵医大病院

 

Day-13(13日目)

 

この日、長年のマラソン友達の安藤さんが見舞いに来てくれた。

 

彼と初めて会ったのは、確か昭和記念公園で開催された駅伝だったと思う。

 

安藤さんの会社で駅伝に出るんだけど、人数が足りないと部長さんに言われ、助っ人として出た時に知り合ったはずだ。

 

その後、その会社のホノルルマラソンツアーに、私は一緒させて頂いたが、その時も彼はいた。

 

年齢も近く、気が合い、同じマラソン大会に出ていた。

 

時々、一緒に飲む仲になっていた。

 

彼は、私が先月、足首の骨折をした際も見舞いに来てくれた。

 

ランナーにとって、骨折という大怪我は辛い。

 

だから、彼は私に同情していた。

 

まさか、二度目の見舞いがこういう形になるとは思ってもいなかっただろう。

 

骨折入院から1ヶ月もたたないうちに癌(がん)発病となり、そして転移へと進んでいった。

 

彼は「なんて、重苦しい事になってきたんだ」と思ったに違いない。

 

その日、安藤さんは一つのポスターをもってきた。

 

4年前に一緒に走った“2003年サロマ湖100kmウルトラマラソン”のポスターだった。

 

 

 

彼はそれを壁に貼り、

 

「大久保さん、絶対、ここに戻るんだ!」

 

そう、私を励ました。

 

その時は、あまりにも遠大な話しに思え、目標というより“夢のまた夢”の話だった。

 

がん患者になんて言うんだ。。また、100㎞走れなんて、、、そんな気持ちだった。

 

しかし、毎朝、一人、病室で眼が覚めると、真っ先に壁に貼ってあるそのポスターに目が行った。

 

「サロマ湖100㎞ウルトラマラソンかあ」

 

毎日眺めているとこんな風に思った。

 

「もし、100㎞に復帰できたら、今ある問題のすべてが解決しているんじゃないかな、、」

 

当然、それまでには家族のもとに戻っている。

 

会社にも復帰できているはずだ。

 

目指す目標としては、ものすごくハードルが高いが、

 

「サロマ湖100kmマラソンのスタートラインに戻りたい」、そう思うようになっていく。

 

それは、もう一度、趣味のマラソンを楽しみたいという純粋な気持ちと、

そこまで回復できたら、癌とは無縁の自分に戻れるという憧れの気持ちからだった。

 

いつか社会に復帰できた時の自分の姿として、最も高いハードルを目標にし始めていた。

 

がんで奪われた自分の生活すべてをと入り返したい、そう思うようになった。