❏❏❏ 回顧録:2007年4月13日 東京・慈恵医大病院
この日は、熱が平熱まで下がったと記してある。
このように本当の良い知らせがあると、辛い治療に対し報われた感があるものだ。
生存率49%の癌闘病の中、この日凄いニュースが届く。
お昼時、讃岐先生がニコニコして病室にやって来た。
「どうしたの先生。お昼休みなのに・・」
「大久保さん、今日の血液検査の結果が出ましたよ」
とっさに、その意味を察した。
「えっ、もしかして、数値が改善しているって事?!」
「はい。LDHが、836まで下がりましたよ」
驚いた。
予期せぬ良い知らせに、本当にビックリした。
両目から涙がボロボロと溢れ出た。
ついに下がったんだ、、。
3つの腫瘍マーカーのうち、最も下がって欲しかったLDH (=乳酸脱水素酵素)値が改善した。
これまで、上がる一方で私を苦しめていたマーカーだ。
その推移はこうだった。
(3月9日) 835 → (3月22日) 877 → (4月9日) 961 → そして今日 (4月13日) 836
がん転移の告知を受けてから、25日目のことで、闘病に希望の光がさした瞬間だった。
基準値(235以下)よりは、まだまだ高いが、それでも信じられない事が起こったような気分だった。
「讃岐先生、俺、第1クールで、LDH を正常化させてみせるよ」
「大久保さん、その意気ですよ。期待しています」
最高の知らせに、心は勢いづいた。