❏❏❏ 回顧録:2007年4月9日 東京
2007年4月9日、ついに入院の日が来た。
混乱していた私は入院を遅らせてしまった。
慣れない「がん」という病気経験のなか、自分なりに考え判断してとった行動は、決して正しくない。
この日、1階の受付で入院手続きを終え、エレベーターで上がると、早速新しい病室に案内された。
この年、3回目の入院となる。
ここで、これから転移癌との闘いが始まる。
間もなくして、吉良先生が病室にやってきた。
若いイケメンの先生で、病棟を担当している。
この人も、なぜか、気が合う先生だった。
私は会うやいなや、彼に伝えた。
「先生、首に腫れが出てきたのですが、、」
すると、彼はとても怖い顔になり
「えっ!いつから、それ、、まずいなあ」
真剣にそう言う。
正直、その言葉に凍りついた。
そして、先生はナースステーションに走っていき、四角いアタッシュケースみたいな物を持ってきた。
私は指示に従う。
彼はその医療機器を開け、私の腰の下にガラス板、腹部に“太マジックペンみたいなもの”を当て、反応を見ていた。
首が腫れているのに首を調べない。
その真剣な眼が、異様な緊張感を生む。
結果を聞くのが恐ろしい。
先生は「あとで、また来ます」と残し、病室を出ていった。
その次に讃岐先生が来て、首の腫れものを見て帰った。
次から次へと、色々な人が来ては出ていった。
しかし、誰も何もコメントをしない。
そして最後に、木村先生が病室に来た。
私の首の腫れものを確認すると、難しい顔をされ
「大久保さんは、腰が痛いんですよね、、」
「はい」
「後で、2階の検査室に行って下さい。その結果を見てから、抗癌剤治療を始めるかどうか、決めましょう」
この瞬間「明日からの抗がん剤治療開始」は、白紙となった。
私は、もう泣きたい気分だった。
患者にとって治療スケジュールが決まらないことは、辛い。
先が見えないからだ。
やはり、以前とは状況が変わってしまったようだ。
先生たちが「何を疑っているのか」知りたいが、恐ろしくて聞くことが出来なかった。
先生たちの表情から、嫌な予感を疑っているのは明らかだった。
私は手と脚が震え、立っていられず、医療ベッドにドスンと座り込んだ。